2014年9月29日月曜日

看護支援相談室便り No 155

支援室便りは、今回で終了になりました。

これからはホームページで看護部のブログが始まります 。→ 静徳 看護部のブログ

 新人達の成長を一喜一憂しながら読んでくださった人達、更新が遅れると「どうかしたのでは?」と心配してくれた卒業生達に深くお礼申し上げます。
 数値的にすぐ評価が出る仕事ではないので、皆様の励ましに、勇気づけられました。
今までありがとうございました。

「曲がり角の先には、きっといいものが待っている。美しい世界がある」(赤毛のアン)
と信じています。

日々草咲き続けたまま秋入る「咲くとはいのち曝しきること」

まだ我に選択肢ある人生あり凛として立つ一本の樹あり

ごきげんよう
さようなら

2014年9月16日火曜日

看護支援相談室便り No154

平成26年9月12日
就職して2年目の卒業生が二人、訪ねて来てくれた。
たった1年間の交流だったが、仲間意識で繋がっている教え子たちだ。 久しぶりに楽しい時間をもつことができた。
 心優しい彼女たちは、それぞれの悩みを抱えている。 でも、「どんな仕事をしたいか」という思いは一緒だった。

 先日の新聞に、認知症に人間らしさを取り戻すケア「ユマニチュード」の記事があった。 「人間の赤ちゃんは人間に存在を認められて人間になる」 「人間は他の人間と絆を築くことで人間になる」それが「ユマニチュード」(人間らしくある状況)だと。

私も卒業生との絆を確認することで、いつもの自分に戻れた気がする。

2014年9月5日金曜日

看護支援相談室便り No 153

「どちらかが100%正しいことなどない」姑の戒めとして座右の言葉

息子が結婚して同居するようになった時、作った歌だ。
心にさざ波がたった時は、立場を変えて考えることで、怒りをコントロールしてきた。

それが、「もういい加減にしてほしい」という感情を抑制できなくなった。
新人が疲弊していくのを見ていられなかった。
新人に課題(問題とは思っていない)があることはわかる。忙しい中で、頑張って指導してくれていることもわかっている。

でも、指導が指導でなくなったら、人は育たない。
課題がある人間ほど、あたたかな、自由な環境でなくては変われない。

どうしたら、このことを分かってもらえるのだろう。

2014年8月23日土曜日

看護支援相談室便り No.152

 テレビドラマに刺激されて、「赤毛のアン」を読み返している。
 「アンの青春」「アンの愛情」「アンの幸福」等、アンが50代になるまで続く物語だ。
アンに自分を重ねて、少女時代の危機を乗り越えることができた。アンを読む前と後では、見る景色も違って見えた。毎日を楽しく生きるエネルギーを貰った。
今になって、「人が人と共に生きる素晴らしさに気づかせてくれる、アンの物語」という解説を読んだが、当時は、自分と同じような子どもが居ることで救われた。

 小学校3年生の時、えこひいきをする担任に「みんなを公平にあててください」と言ってから繰り返された教師からのイジメ。傷つく自分が異常だとさえ思って苦しんだ。
でも、アンと出会って、感性の豊かさは、個性だと知った。
「天井の喜びを感じる人は、悲しみや苦しみも人の何倍も深い」というアンの言葉に共感した。ありのままの自分でいいということが、どんなに魂を開放することか、子ども心にもわかった。
 通学路に「恋人の小道」や「希望の丘」と名づけて楽しんだ。辛い時には、想像の翼を広げて「曲がり角の先には何があるかわからない。でも、きっといいものにちがいない」と信じることができた。

 今でも、些細なことに傷つき、小さな事に感動して、子どものままだと思う時がある。でも、こんな自分が好きだと思えた、幼い日のことは忘れられない。


平成26年8月22日  古賀 八重子

2014年8月15日金曜日

看護支援相談室便り NO.151

 苞が花のように色づいて、花が閉じる昼も楽しめる2段咲き!
一日中咲くように改良したというオシロイバナを植えた。確かに、朝から夜まで咲く。しかし、その散り際の汚さにまいっている。茶色に変色した萎んだ花が、咲いている花に絡まって、花ガラ摘みが大変なのだ。

 花の散り様を見ながら、自分自身の「引き際」を考えてしまう。
今年も、看護以外の事で、新人の生命力を消耗させる現状は変わらなかった。
「私のような人間が、ここに居てもいいのでしょうか?」と言う新人の言葉を切なく聞いた。入職して4年、来室者も増えて、それなりの手ごたえも感じていた。
でも、変わらないことは変わらない。

まるで病気にやられたような、オシロイバナを見ながら、わが身を省みている。


平成26年8月15日   古賀 八重子

2014年8月11日月曜日

看護支援相談室便り No.150

 毎晩、本をひろげて悩んでいる。
母を迎えるお盆の献立だ。此のところ面白い料理の本を、4冊も買ってしまった。
「忙しい日でも、おなかは空く」には、短時間でできる美味しい料理が一杯だ。
「きいんと冷えたなすを箸で持ち上げ、口に運ぶ。しんなり舌によりかかってきて、たっぷりだしを含んだなすの滋味がじわっと広がる。疲れて帰って来た夜、ひんやりと芳ばしい味わいが冷蔵庫の中で待っていてくれると思うと元気が出る」
こんなエッセイを読むと、冷やしなすを作らずにはいられなくなる。

 「おいしい暮らし歳時記 口福だより」も、季節の楽しみを広げてくれる。大好きなショウガのガリを、よりきれいな薄紅色に仕上げるには、茎のつけ根の紅色がチャームポイント。お弁当に自家製のガリが入っていると、シャキッと元気が出る。
 夏こそ甘酒、のページを読むと、昔母が作ってくれたお米と麹だけで作る甘酒も造りたくなる。

 精進ちらし、太巻き寿司、ごまごはん、れもんごはん、しょうがごはん・・・
主食が決まらないので、副食も決まらない。
まだしばらく寝不足が続きそうだ。


平成26年8月8日   古賀 八重子

2014年8月1日金曜日

看護支援相談室便り No.149

 毎月、園芸通信を楽しみにしている。
今月の特集は、ランの育て方だった。
「ランを力いっぱい咲かせるコツは、根を見ること、いじらないこと。
植物は、私たちが考える以上にストレスを感じやすく、いじられることを快く思いません。反面、順応能力が高いので、最初は調子をくずしたとしても、2~3年かけて環境に順応していきます。最良と思える場所を探したら、いじらず、観察を十分行って、最低限の世話をするよう心がけています。」
(園芸家・田中 哲)

 ランの育て方と人の指導方法は、重なることがある。
新人が学ばなければいけないことは、限りなくある。でも、一生懸命関わっても、ギブアップしている新人には、伝わらない。

「教えなくてもいい」と思うのは、勇気がいることだ。しかし、「教えなくなった」時、新人は元気になるかもしれない。
ストレスで、吹き出物が一杯できてしまった新人の顔を見ながら、思う。


平成26年7月31日  古賀 八重子

2014年7月22日火曜日

看護支援相談室便り No.148

 友人が茗荷の根を持って来てくれた。
放っておいても育つから裏庭に植えたと言う。子供の頃、茗荷を採りに行くのは私の仕事だった。夕食の薬味の為が多く、やぶ蚊に刺されながらの仕事は、嫌なものだった。父は好んで食べていたが、私は細かく刻んでもザラザラとしている感触が好きではなかった。
 友人が根と一緒に持って来てくれた茗荷は、白っぽい薄紅色をしていた。茗荷は、地表に出たら風味が落ちるから、土の中にある物を掘って採るのだという。竹の子と同じだ。
薄紅色の茗荷は、香りもよく、柔らかで、おかかと生姜によく調和し、絶品の冷奴になってくれた。
来年の梅雨の季節には、柔らかな茗荷が採れると思うと、楽しみだ。

平成26年7月18日  古賀 八重子

2014年7月7日月曜日

看護支援相談室便り No.147

看護協会の総会に出席した。

終了後の講演会はトーク&コンサートだった。21歳でクローン病を発症したフルーティストの奥田良子さんと、夫でありベーシストの勝彦さんの演奏とお話に惹きこまれた。繰り返し襲ってくる病気に絶望し、未来が無くなったと思った時、涙が止まらなかった。絶望の中で、美しい神戸の海を見て歌ったという「海をみていた午後」、頑張っている自分を思い出して欲しいと歌ってくれた「雨のちハレルヤ」、オカリナの「ハナミズキ」。苦難を乗り越えたからこそわかる、生きている喜びや幸せ。

「苦しみには、必ず出口がある」と気付いたのは、たくさんの人の支えのおかげだと。黙って背中をさすってくれた看護師さん、「大丈夫?」と声をかけてくれた看護師さん、みんなのおかげで、「もう一度生きてみよう」と思えるようになった。
人は希望を失った時死ぬ(夜と霧:フランクル)。希望の小窓を閉じさせなかった理由は、音楽であり、社会や人との関わりであった。
その中に、たくさんの看護師が居たことを嬉しく思った。

 「未来の自分が後悔しないように、生きて行きたい」、二人からのメッセージを、しっかり受け止めた。


平成26年7月3日   古賀 八重子


2014年6月25日水曜日

看護支援相談室便り  No.146

一番時間があるのは、通勤電車の1時間半だ。
定位置に立って、窓の外をぼーっと見ている。今年も菊川駅のアケビが実る季節になった。先日まで、小さな花が風に揺れていたのに、小指の先ほどの青い実がついている。しかし、例年になく数が少ない。庭のサンパチェンスも今年の成長はゆっくりだ。
植物を見ていると、いつも同じように花が咲き、実がなるわけではない。
それなのに、人間は皆、同じように成長してほしいと期待してしまう。
 今年の新人は、健康面で少し不安がある。
長い時間をかけて実っていくアケビを見るような気持ちで、新人たちの成長を見守りたい、いや待たなければと思う。


平成26年6月24日  古賀 八重子

2014年6月19日木曜日

看護支援相談室便り No.145

いつも自然体のTさんと話すと、心がなごむ。

久しぶりに会ったので、内科が開棟したら戻るのかと聞いたら「迷っている」と言う。
「ゆっくりと心に寄り添う看護をしたいと、内科を選んだけど、外科の患者さんも元気そうに見えても悩みを抱えている。何処に居ても、心に寄りそう看護はできるとわかったので、内科でも外科でもいいと思っている」と。
今でも、朝早く行って、気になる患者さんを訪問している。患者さんの変化や笑顔が楽しくて、勉強は嫌いだったけど、私頑張ってるよ、と屈託がない。
卒業して2年たった今も、患者さんと関われることを新鮮に、素直に喜んでいる。
そんな彼女の言動を、看護師として当然の事だという人が居るかもしれない。
でも、私は、当たり前のことを、一つ一つ経験(身体)を通して自分のものにしている彼女の成長を楽しみにしている。
普通のことを、ずーっと続けている人を応援していきたい。

平成26年6月16日  古賀 八重子

2014年6月10日火曜日

看護支援相談室便り No.144

電車の中で、女子高校生達が話していた。
「女子高ってめんどくさい。少し仲良くするとレズとか言われる」と。
若い頃、女性二人で旅行していた時、カップルの女性から「気持ちワルイー」と言われた事があった。憐れみの目で見られて驚いた。

群れることが苦手な私は、けして友人は多くない。しかし、彼女達と出会っただけでも、この世に生まれてきて良かった、と思える友人が何人か居る。
赤毛のアン流に言えば、「腹心の友」だ。
その内の一人が、今、入退院を繰り返している。学生時代からの短歌の仲間だ。

 君住める街ゆく時にポケットの5フランコインが指先に触る

彼女は、いつもメルヘンチックな美しい歌を作っていた。私は、かたくなに働く人の歌を作り続けていた。でも、私達はお互いを認め合い、作歌に精進していた。
二人ともまだ働いているが、この頃は一緒に旅行することが増えた。
美味しい物を食べ、美しい物を看て、短歌の話などしていれば、何日一緒に居ても、退屈することはない。

まだまだ一緒に行きたい所がある。
彼女の「平気、平気、大丈夫だよ」という口癖を、早く聞きたい。


平成26年6月9日  古賀 八重子

2014年5月30日金曜日

看護支援相談室便り No.143

半年前退職した新人から手紙が来た。
退職時は、新しい道を選ぶと言っていたが、1ヶ月前から看護師に戻ったと言う。
彼女の柔らかさは、看護師にとても向いていると思っていたので、本当に嬉しい。
今、悩んでいる卒業生も居るので、彼女の手紙の1部を掲載させてもらう許可を貰った。

[今日は、近況をお知らせしたく、ペンをとりました。実は私、また看護師として働いているんです。退職時、「もう二度と看護師はしない」と言ってのけた私ですから、驚かれた事でしょう。喜んで頂けけると嬉しいのですが。
地元に戻り、やりたかった勉強を続けている時、結婚を意識するくらいの恋人ができました。将来を考えた時、結婚しても続けられる仕事をしたいと思ったこと、パソコンと向き合う毎日で、いい加減、人と向き合って生きたいと思ったからです。徳洲会で、看護師を続けて行けなかったことは残念ですが、全く別の職業を目指してみて、やはり看護師をしたいと考えるようになりました。今の職場は、ステルベンや急変もなく、人間関係もいいので、精神的に余裕をもって仕事をすることができています。
辞めてからもずっと、支援室便りを拝読しておりました。同期のT君が2年目、先輩になったんだなあと思うと感慨深いものがありますね(笑)更新を楽しみにしています。またいいお知らせができるよう頑張っていきますので、静岡から見守っていて下さいね]

当時、「僕らよりいいものをたくさん持っている、将来いい指導者になれる人だ。だから休みたいだけ休んでいいから、辞めさせないでほしい」と支援室に頼みに来たプリセプターのNさん。
あの当時は、無理だったけど、今、看護師に戻ってくれたことを喜んでほしい。


平成26年5月29日   古賀 八重子

2014年5月23日金曜日

看護支援相談室便り No.142

週末、上高地を散策して来た。

八ヶ岳I.Cから見えた残雪の甲斐駒岳、木立の間から見える焼岳の美しさ、川底の小石まで見える梓川の清流。
高い山を目指していた頃は、頂上から見える景色が最高だった。
上高地は、アルプスの入り口であり出口だった。

今、アルプスは、見る山に変わった。
咲き始めたニリン草やネコノメ草を見ながら、ゆっくり歩いた。
吹いてくる風さえ、非日常の柔らかさだ。
高く、速く、登り続けた頃もなつかしいが、下から見る山の美しさもある。
年齢相応の人生の楽しみ方があるよ、と教えられた気がする。

平成26年5月22日  古賀 八重子

2014年5月16日金曜日

看護支援相談室便り  No.141

今年も元気な母と「母の日」を迎えることができた。

 母は記憶の一部を失っているが、礼儀正しさや性格は変わっていない。
連休中、家で過ごすために迎えに行った時も、運転をしてくれた義弟に「お久しぶりです。お世話をかけてすいません」と恐縮していた。妹夫婦と一緒によく食べよく笑った。
 どんなに関わっても、悔いの残らない別れはないというが、この数年間は本当にありがたい時間を持つことができている。自己満足かも知れないが、父や夫の時には持てなかった、ゆったりした時間を楽しむことができた。

夕方、谷沿いの道をウォーキングしていたら、真っ赤な野苺が群生していた。
昔、父が母親の思い出を話してくれたことがあった。学校帰りに田植えをしている傍を通りかかったら、雨が降っているのに、崖を登って野苺を両手に一杯採ってくれた。
あの時の苺の味が忘れられないと。

私にも、母にも繋がる思い出の食べ物が一杯ある。


平成26年5月15日  古賀 八重子

2014年5月9日金曜日

看護支援相談室便り  No.140

元気になれることがあった。

退職するN師長さんが挨拶に来てくれた。
いつも支援室便りを読んでくれていたと言う。辞めてからも見るので、健康に気を付けて頑張って下さいと。1年で退職して3年前に再就職した時、「今度は急に居なくならないで下さいね」と言われたことが、負い目としてあった。だから、支援室の事を気に掛けてくれていたことが嬉しかった。

通信課程で勉強を始めた准看護師さん達が来室。課題の解答をすぐに見つけてあげることができた。「急ぐ時や、時間が無い時は電話をくれれば探して付箋紙を淹れておくから」と言ったら喜んでくれた。自分も苦学したので、この人達のために何でもしてあげたいと思ってしまう。6年かかって卒業した人もいるので、二人が卒業するまで頑張るとは言えないが、健康に気を付けて支援室を守っていきたい。

この1ヶ月、週5日飲んでいたビールを2日にしてる。


平成26年5月8日   古賀 八重子

2014年4月30日水曜日

看護支援相談室便り No.139

ローテーション研修が始まって病棟をラウンドしている。

2年目になったTさんが居たので「新人をよろしくね」と言ったら「大丈夫、ばっちりですよ」と返して来た。「その自信と実力が一致するといいね」と言うと笑っている。
環境とプリセプターに恵まれ、のびのびと育っている。
飄々と仕事をしているので、緊張感がないと言われることもあった。でも、プリセプターは、彼の明るい性格が折れないでいてくれる要因だからと、黙って様子を見てくれていた。1年たったら、深く考えることも教えていくからと待ってくれた。
「この頃、ちょっと勉強し始めた」と成長記録に書いてあった。
「今頃?」と思うが、不平・不満を言わず、力まず、慌てず、マイペースで仕事をしている。
人にも、自分にも肯定的・楽観的であることは、大きな美徳だと思う。

ただ、提出物の期限を守ることができず、私は1年間、困らされて来た。
会うたびに「まだ?」「必ずだしますよ」の会話を繰り返している。


平成26年4月28日   古賀 八重子

2014年4月21日月曜日

看護支援相談室便り  No.138

いささか季節はずれになったので、掛け軸をかけ替えた。
昨年の暮れ、どうしても欲しくて買った小林五浪画伯の「初春」だ。
舞妓さんの横顔に若い頃の自分を重ねて心惹かれた。

まっすぐに頭(こうべ)を上げて生きている眼差しを君は愛しと

成人式の日、私は全学連の代議員として、東京の某大学の講堂に居た。
晴れ着は、大好きな緑のブレザーだった。
「二十歳の人は、壇上に上がってください」と言われ拍手で祝ってもらった。
人前で話すのが苦手だった私が、初めて何百人もの前で発言した忘れられない日だ。
自分の思想や行動に迷いは無かった。ただ、まっすぐに、前を向いて立っていた。

あの頃の自分と同じ瞳をした少女の絵は、「どのように生きるか」という原点を思い出させてくれる。


平成26年4月21日  古賀 八重子

2014年4月14日月曜日

看護支援相談室便り  No.137

嬉しいことがあった。
病棟閉鎖で、内科から外科病棟に異動したTさんが来室。
一緒に昼食を食べながらゆっくりと話をした。
外科は苦手なので不安と聞いていたので心配していた。でも元気だった。
内科では学べなかったことを学んで、戻った時役に立てる看護師になりたい、元の病棟の師長さんも主任さんも大好きなので、その人達に喜んでも貰えるためなら頑張れる、という。新しい病棟で、新人に戻ったような生活をしながら、健気に開棟を待っている。1年間、暖かく育ててもらったのだと思うと本当にありがたく、涙が出そうになった。離職防止のためには、帰属意識の持てる人間関係(チーム力)が大切だと考えてきた。人間は、あたたかな環境の中で、他人のために頑張れる力をもつことができる。

待っていた春が一気に来たような嬉しい一日だった。


平成26年4月14日   古賀 八重子

2014年4月8日火曜日

看護支援相談室便り  No.136

26年度がスタートした。
25年度は波乱の1年だった。初めて病棟閉鎖を経験した。
2年目になって自分らしい仕事ができると楽しみにしていた新人たちは、突然の移動に混乱してしまった。でも、1番の被害者は患者さん達だ。

夜明けの歌を歌うだけでは、世の中は明るくならない。
生活の現場から暗いものをひとつづつ取り除こう。
「きょうコレヲ必ズヤル」
「きょうコレヲ決シテヤラナイ」
この二つを毎日やるか、やらないかは一生の豊凶を左右する。
     (むのたけじ  99歳一日一言)
当院に来てくれた新人たちや頑張ってくれている看護師さんたちを、全力でサポートする。
そのために、やれること、言うべきこと、やってはいけないこと、を見極めて仕事をしていこう。


平成26年4月7日   古賀 八重子

2014年3月28日金曜日

看護支援相談室便り No.135

新人の技術指導の担当になった副主任さんが相談に来室。副主任を受けたことを後悔しているという。
「仕事にも発達課題があって、年齢相応の役割をはたしていくことは必要だと思う。受身でない仕事ができるし、楽しく働くために頑張って」と言うと「Kさんは楽しいと思って働いているのですか」と聞かれた。
私はもちろんそう思って働いている。楽しくなかったら、この年で働かない。
確かに学生といた頃と比べると笑顔は減った。悩みや怒りを聞く疲弊感もある。
でも、私は今の状況を悲観的に考えていない。私が本当に絶望する時は、人間が信じられなくなった時だ。新人として関わった人達の退職はこたえる。でも、一人一人の思いは受け止められたし、だれも看護が嫌になったわけではない。この仕事を選んだ理由は、若い人が看護を好きになって仕事を続けてもらえるようサポートしたかったからだ。
当院を退職という結果は残念だが、看護師を辞めるという人が一人もいなかった。
私は、そのことに感謝している。

平成26年3月28日   古賀 八重子

2014年3月22日土曜日

看護支援相談室便り No.134

3年前、一緒に入職したMさんが退職した。
励ましあって来た仲間なので本当に寂しい。
夜勤あけに「もうー疲れた―」と来室しながら午後まで話しこむことも多かった。
母親と二人暮らしだったが、結婚して、両方の親の面倒をみることになった。
だから、ずっと仕事を続けられる職場を探したいと悩んでいた。
Mさんはこの病院で自分の30代、40代の姿を思い描けなかった。
保育所があるだけでは、若い人を繋ぎ止めることはできない。
退職を決めた人達の話を聞くと、辞めたくて辞めていくのではない現実がある。

夢を託せる環境を整えてあげられなかったことを、残念に思う。


平成26年3月20日   古賀 八重子

2014年2月28日金曜日

看護支援相談室便り  No.133

新人の看護実践レポートの発表会が終わった。
例年になく忙しい状況だったが31名が出席してくれた。
新人たちは、事例を振り返ることで、看護する喜びと自分の課題を見つけてくれた。
どの新人レポートも、患者さんを大切に思っていることが伝わるものだった。
「何とか患者さんのQOLを向上させようと、3カ月間、声掛けやタッチングを続け、笑顔や返答が見られるようになった。意欲や発語の低下した患者を、何もできない、分からないと決め付けるのでなく可能性を信じて働きかけることで、患者は変化してくれる。しっかり向き合うことで、看護の醍醐味を味わうことができた」

以前読んだ文献に、患者が「理解された」と思うのは、看護師が「理解できた」と思う時ではなく、「理解しようと思った」時だと述べられていた。
患者は、看護師が理解しようと思ってくれただけで救われる。
新人の武器はこれだと思う。

「偉人とは、一日に一度子どもの心にもどれる人だ」という言葉がある。
いい看護師とは、一日に一度、新人時代の心にもどれる人だ。


平成26年2月28日   古賀 八重子

2014年2月20日木曜日

看護支援相談室便り  No.132

今年は庭の梅(豊後)がきれいに咲いている。
樹齢120年の古木で、ここ数年はポツポツとしか咲かなかった。
見事な枝ぶりと薄いピンクの花の美しさに魅せられて購入した梅の木だ。
当時、植木屋さんから「奥さんの生きているうちは大丈夫ですよ」と言われたが、もう限界かなと思っていた。

 去年から植木屋さんが交代して、手入れの方法が変わった。
木の枝を整えるだけでなく、育つ環境を大切にしなくてはいけないと言う。
太陽の光と風と風通しを良くすることで、木は元気になる、下草が茂っていると病気も発生するからと思い切った整理をしてくれた。
おかげで久しぶりに美しい梅の花を楽しむことができた。

木も人間も暖かな風通しの良い環境で育つ。
自然の摂理は、いつも人間の規範だ。


平成26年2月18日   古賀 八重子

2014年2月5日水曜日

看護支援相談室便り  No.131 

 短大の基礎実習が終了した。
いつも学生の感性に刺激をもらう。

今回は、認知症の患者を受け持った男子学生の報告が心に残った。
「患者さんとコミュニケーションがとれず、話が通じないから帰ってと言われ、控え室で落ち込んでいた。グループメンバーが心配してくれる中で、わかる言葉だけでも繰り返し言うことで伝わってますよというメッセージになる、と気付いた。
自分の患者への態度が変わるだけで人間関係は変化するとわかった」と言う。
  「看護は、みんなで(チーム)行うもの」という私の言葉にも励まされたと。

「できないと言える自由がほしい」という新人を思う。
看護はチームでやるものだと考えることができれば、どんなに楽になるだろう。


平成26年2月4日  古賀 八重子

2014年1月24日金曜日

看護支援相談室便り No.130

 新人のTさんが夜勤明けに来室。
レポートのテーマを相談して決めた。
「私、勉強嫌いなんです」と言うTさんだが、根はまじめ。
今回も、一人の患者にしっかり向き合ったからこそのレポートだ。

月刊ナーシングの1月号に、川嶋みどり氏が看護のアイデンティティーについて述べている一文があった。
「看護師が考え、実践する場を与えること、時には一人の患者さんに深くかかわる体験が必要。そこで看護の面白さが実感できれば、他の患者さんのケアも、より深く考えて実践したいというモチベーションになる」と。

学ぶことが一杯ある中で、レポートをまとめるのは大変だと思う。
しかし、印象に残った一人のことを考える時間は、「看護の醍醐味を味わう」ための大切な機会ではないか。


平成26年1月23日   古賀 八重子

2014年1月14日火曜日

看護支援相談室便り No.129

Yさんの小学生の子どもさんの話である。

計画的に何でもできるお姉ちゃんと違って、欲のないのんびり屋さんだと言う。
冬休み、児童館に連れて行った時、人気の遊びコーナーは行列だった。
一人の子どもが、待っている子どもが何人もいるのに独占して遊んでいた。
じっと待って自分の番が来たので、思い切り遊びなよと言ったのに、後ろを振り返って気にしている。そして、早々に切り上げて次の子どもにゆずった。
待っている人の気持ちが理解できるやさしさは、この子の宝だと。

私の息子も同じだ。職場からリンゴを1つ貰って帰ってきた。
「ダンボールに一杯あって、御自由にどうぞと書いてあったので」と言う。
私は、おばさん根性丸出しで「一杯あったのなら、2~3個貰ってくれば良かったのに」と言ってしまった。息子は「後から来た人の分がなかったら可哀相でしょ」と涼しい顔をしている。子どもの時から、サッカーの試合でも、相手がボールを奪いに来ると譲ってしまい監督に叱られていた。
もどかしく思うことも多かったが、他の人のことを考えることができる力は、偏差値では計れない。
母親ふたり、しみじみわが子を愛おしく思った。


平成26年1月15日  古賀 八重子

2014年1月8日水曜日

看護支援相談室便り No.128

仕事初めである。来室者はYさんひとり。いつものように教育?談義。
今日は評価について考えさせられた。

中学生の娘さんの話だ。体育の先生が二人居て、若い先生は、自分に見えるものでしか評価しない。テストの点、タイム、自分が話して居る時おしゃべりしないなどの態度。
だから、皆がダラダラとグランドを走っている時でも真面目に走ってみせる。
そうすれば5がもらえる。
もちろん、見えない所でさぼるような子ではないから、いつでもきちんと頑張っているのだろう。
でも、中学生でさえ、評価する人の物差しを見抜いている。

「評価することは評価されること」
この当たり前のことを肝に銘じて、今年も関わっていきたい。

今年もよろしくお願いします。

平成26年1月6日   古賀 八重子