やっと実習室のシーツ交換をした。
変えなくてはと思いながら、何日もたってしまった。
仕事の早さには、自信があったのに、家事も仕事もはかどらない。
そんな自分に、いらついてしまう時がある。
「これだけできれば充分」と思えない自分は、人にも厳しい人間かもしれない。
先日、評価表の提出が遅れている新人に「家で5分あれば書けることだから」と言ったら、「5分あれば寝たい」「出来ないといえる自由がほしい」と言われた。
私も、期待し追い込んでいた一人だ。
波乱の1年が終わる。
色々なことがあった。
でも、毎月「成長できたこと」を記録してくれたプリセプターの12月の言葉には
「チームが円滑に動くように、他メンバーに声掛けすることができた」
「まわりの人の仕事を助けられるようになった」など、チームの中での役割をはたせるようになった新人の姿があった。
徳洲会に入職してくれた人達、育ててくれた人達に感謝して、1年を終わりたい。
ありがとうございました。
平成25年12月27日 古賀 八重子
2013年12月27日金曜日
2013年12月20日金曜日
看護支援相談室便り No.126
9か月目の振り返り研修。
同期が久しぶりに会うとにぎやかだ。
言いたいことをストレートに報告しあう。
休日も楽しめないようなストレス、理不尽な態度や言葉。
いつも、看護以前の人間関係が新人たちを苦しめる。
クラークのOさんが、ホームページの写真を撮りに来た時は、「笑って下さい」と言われても誰も笑えなかった。仕方がないので、下を向いて勉強している写真にして貰った。
でも、後半になって、実践レポートのテーマや内容の話になると皆の表情が変わった。
長期入院で、発語も意欲も無かった患者さんが、こまめに声掛けしていく中で反応を返してくれるようになってた、患者さんとの関わりが喜びだと話す顔は明るい。
心配している私を見て、「大丈夫、心配しないで、私、辞めないから」と言う。
「本当にどうしようもなくなったら、病棟を変えてもらう」
「簡単には逃げ出さない」
今年の新人の強さは、これだと思う。
平成25年12月19日 古賀 八重子
同期が久しぶりに会うとにぎやかだ。
言いたいことをストレートに報告しあう。
休日も楽しめないようなストレス、理不尽な態度や言葉。
いつも、看護以前の人間関係が新人たちを苦しめる。
クラークのOさんが、ホームページの写真を撮りに来た時は、「笑って下さい」と言われても誰も笑えなかった。仕方がないので、下を向いて勉強している写真にして貰った。
でも、後半になって、実践レポートのテーマや内容の話になると皆の表情が変わった。
長期入院で、発語も意欲も無かった患者さんが、こまめに声掛けしていく中で反応を返してくれるようになってた、患者さんとの関わりが喜びだと話す顔は明るい。
心配している私を見て、「大丈夫、心配しないで、私、辞めないから」と言う。
「本当にどうしようもなくなったら、病棟を変えてもらう」
「簡単には逃げ出さない」
今年の新人の強さは、これだと思う。
平成25年12月19日 古賀 八重子
2013年12月11日水曜日
看護支援相談室便り No.125
人は、幾つになっても、新しい自分を作ることができる。
一人で、倉敷に行って来た。
めんどうな事が嫌いで(その上、ひどい方向音痴で)、いつも他人任せで連れていって貰っていた。
今回、一人で企画し、ホテルや切符の手配をし、地図を見て町を散策できた。
大原美術館では、エル・グレコの「受胎告知」やゴーギャン、モネ、ピカソなどの作品をゆっくり堪能し、非日常の世界に浸った。
備前焼の工房も何軒か回り、気に入った抹茶碗を、値切って買ったりできた。
夜は、地酒とワインを心行くまで飲み、久しぶりに二日酔いにもなった。
いい旅だった。
平成25年12月10日 古賀 八重子
一人で、倉敷に行って来た。
めんどうな事が嫌いで(その上、ひどい方向音痴で)、いつも他人任せで連れていって貰っていた。
今回、一人で企画し、ホテルや切符の手配をし、地図を見て町を散策できた。
大原美術館では、エル・グレコの「受胎告知」やゴーギャン、モネ、ピカソなどの作品をゆっくり堪能し、非日常の世界に浸った。
備前焼の工房も何軒か回り、気に入った抹茶碗を、値切って買ったりできた。
夜は、地酒とワインを心行くまで飲み、久しぶりに二日酔いにもなった。
いい旅だった。
平成25年12月10日 古賀 八重子
2013年12月4日水曜日
看護支援相談室便り No.124
このところ、頻回に療養病棟をラウンドしている。
60代の新人を抱えて、奮闘しているプリセプターが気になって仕方がない。
人生経験を尊重しながら、根気よく指導してもらいたいと、写真入りの技術書を届けた。
年をとってから、技術を学ぶ大変さは身に沁みてわかる。
私も、35歳で幼児教育科に入学し、ピアノで苦労した。
田舎の小学校にはオルガンしかない子ども時代だった。触ることも許されなかった。和音の聴音ができない私は「音感は、幼児期に鍛えておけ」と言われ、涙が出た。
第2の人生に、看護を選んでくれた仲間だ。何とか働ける場所が見つかってほしい。
平成25年12月3日 古賀 八重子
60代の新人を抱えて、奮闘しているプリセプターが気になって仕方がない。
人生経験を尊重しながら、根気よく指導してもらいたいと、写真入りの技術書を届けた。
年をとってから、技術を学ぶ大変さは身に沁みてわかる。
私も、35歳で幼児教育科に入学し、ピアノで苦労した。
田舎の小学校にはオルガンしかない子ども時代だった。触ることも許されなかった。和音の聴音ができない私は「音感は、幼児期に鍛えておけ」と言われ、涙が出た。
第2の人生に、看護を選んでくれた仲間だ。何とか働ける場所が見つかってほしい。
平成25年12月3日 古賀 八重子
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