2012年2月20日月曜日

看護支援相談室だより No.41

短大の実習が終わりました。

終了後のアンケートをまとめた。
自由記載の欄には、「最初の実習がこの病院でよかったです。患者さんだけでなく看護師さんからも学ぶことが多く、ここでの実習は、卒業してからも忘れないと思います」「看護師に必要なものは何か、病院とは何か、看護とは何か、大切なことを学ぶことができました」「いつ、どんな時も、広い心で接していく大切さ、患者さんを思いやることが、医療の基本であることを学びました」「学生が、相談や質問をしやすい環境を作ってくださってありがとうございます」など、感謝の言葉があふれていた。
すぐに、病棟の師長と指導者に持って行った。
師長さんは、「鳥肌が立つほど嬉しい」と言い、指導者は「こんなこと書いてくれて」と喜んでくれた。
初めて実習指導に関わった指導者の不安を知るだけに、とても嬉しい。
実習病院へのリップサービスもあると思うが、終了後の無記名のアンケートであり、評価に関わるものではないので、学生の気持ちを素直に受け止めたい。
看護部長にも、こういう学生の反応こそ、皆に生情報として伝えてほしいとお願いした。

1年生の初めての実習だから、看護を好きになってもらおうと、ていねいに向き合ってくれた看護師さん達、それを素直によろこんでくれた学生さん達。
「大切に思っている」「あなたを受け入れている」というメッセージを送ることで、「受け入れられている」と感じることができる。そして、初めて自分自身を指導者に託すことができる。そこから教育が始まる。
実にシンプルな法則だが、現実はそう上手くいかない。
でも、本気で取り組めば可能なことだと、感じさせられた実習だった。

平成24年2月20日   古賀 八重子

2012年2月16日木曜日

看護支援相談室だより No.40

「ありのままを受け止めること」

立てず聞けず食へず話せず父の冬   正木ゆう子
花びらの顔にかかればうれしくて父はかがやく鼻水たらす  小島ゆかり

私もこの頃、認知症の母の歌を作り続けている。
グループホームに入ってから、会う度に変わっていく母は、私のことも分からなくなってきている。突然、「誰の嫁さんだったかね」と聞く。
私が来たことも、喜んでいるのか、わからない時がある。そんな母を見るのが辛くて、2週間、会いに行けなかった。
そんな時、正木ゆう子の俳句と、小島ゆかりの短歌を読んだ。
「詠むことで、その場面が肯定される」という作者の言葉に一つの救いを得た。
震災も介護も、ただただ詠むしかない。混沌は混沌のままに、詠み尽くす。
詠まなくてはと思ってではなく、湧いてくる思いを詠んでいくことで、救われるものがあると。

母の生きている証、今の母の喜びや哀しみ。
私は、表現者として、いや娘として、ありのままを見つめ、遺していこうと決めた。

この頃、気が付いた事がある。
母のことを、ずっと見守ってくれている入所者(男性)が居る。
排泄の失敗をして部屋に籠っていると聞いた時も、発熱した時も、「心細いと思って」と、心配して付いていてくれた。
部屋を閉めて話ししていると、のぞいて「だいじょうぶ?」と聞いてくれる。
このホームにも、母を大切に思ってくれている人が居る。
昔、子供心にも、母を想っているとわかる人が何人かいたことを、思い出した。
母は、守ってあげたくなる可愛い女性なのだ。

母のこと守ってくれる騎士がいてグループホームに二人寄り添ふ

平成24年2月16日   古賀 八重子

2012年2月13日月曜日

看護支援相談室だより No.39

寒い朝

冬の朝の寒さは、本当に厳しい。目が寒くて涙がでる。
そんな時はいつも、吉永小百合の「寒い朝」を歌いながら、自転車を走らせる。
「北風吹きぬく寒い朝も、こころひとつであたたかくなる」
歌声喫茶の時代の歌である。

自転車置き場には、ストーブを用意して、ご主人が待っていてくれる。
手をかざす余裕はないが、子供の頃の、焚き火を思い出す。
駅には公営の安い駐輪場があるが、私は、個人の小さな自転車屋さんに預けている。

「いってらっしゃい」「お帰りなさい」と言ってくれる暖かさがある。
朝夕に交わすさりげない会話に、心が癒される。
雨ガッパを前かごに投げ入れて電車に飛び乗っても、乾かして畳んでおいてくれる。
タイヤの空気が減っていれば、入れておいてくれる。
「今から帰って食事の支度では大変だね」と奥さんは、毎日、心配して声を掛けてくれる。息子のお嫁さんが、夕食を作ってくれるようになったと言ったら、自分の事のように喜んでくれた。

3時間の通勤を支えてくれている、私のネットワークの一つです。

平成24年2月13日  古賀 八重子

2012年2月10日金曜日

看護支援相談室だより No.38

Sさんとの思い出2

6月19日 Sさんが久しぶりに支援室に来室。
1時間話しても足りないようす。医師も師長さんもいない時に、患者さんが急変し嘔吐した。すぐに顔を横に向けて、吸引し、バイタルを測定して連絡できた。
今までのように、パニックにならずにできた、と興奮気味に話してくれた。
導尿をやってくださいと言われたが、「一人ではできません、一緒にお願いします」とできない自分を表現できたという。
できないことを、できないと言えることは、彼女のひとつの課題だった。

小児科で、実習指導をしていた時、白血病の患児にトイレトレーニングをする是非について学生と悩んだことがある。データが悪化すれば、絶対安静になって、すぐにオムツになる。落ち着いている僅かな時間に、してあげることは他にあるのでは、と迷うことがあった。しかし、オマルで排泄でき、「できた」と言って喜ぶ顔を見た時、成長できた喜びは、人間にとって最高のものだとわかった。

新人が、どんなささやかな事で喜ぶか、知ってもらいたいと思う。
そして、その事を共に喜んでくれる仲間が居ることで、どんなに幸せを感じるか、わかってほしい。

平成24年2月10日  古賀 八重子

2012年2月6日月曜日

看護支援相談室だより No.37

Sさんとの思い出 1

Sさんとの関係が動いたのは、5月の連休明けだった。私が、1週間近く休んだ後、彼女は来なくなった。いつもなら、電話をすればすぐ返信が来たのに、返事がこなかった。5月の連休明けを心配していたが、その通りだった。一人でいって、不安になっている姿が浮かんだ。電話をし続けて5日目、やっと連絡がついた。やはり、連休の間、落ち込んだようだ。しかし、「なんとかしたい」という気持ちが勝ったことが嬉しかった。
「やりかけのパソコンの仕事があるし、寮で何かあれば、病院に迷惑がかかるから」という理由に、Sさんの責任感の強さを感じた。

それから、私と彼女は、本気になって、職場復帰の計画をたてた。6月から半日でもいいから病棟に行く。給料をもらって申し訳ないと考えなくてもいいように、研修の形で復帰する。寮をでて、実家から通う。経済的なことは父親に相談して解決する。

6月3日、私とSさんは一緒に病棟に行った。
甘いと言われるかもしれないが、そうせざるを得ない思いがあった。
4月1日、病棟に行った時、次の日には行けなくなった。
そのトラウマを、今度は絶対になくしたいと思ったからだ。
4月の時、新しい病棟の人たちは、あたたかく迎えてくれた。心配はことは何も起こらなかった。でも、その穏やかさが信じられなかった。この病棟でも、昨年のようなことが起こって。「だめな人間」になるかもしれないと思ったら、怖くて、病院へ行けなくなったと言うのだ。

ここに居場所があると思ってもらいたくて、私も病棟に行った。

平成24年2月6日   古賀 八重子