2012年12月28日金曜日

看護支援相談室便り No.82

今年最後の教育委員会が終わった。
何とか新しい教育体系ができた。
まだ微調整・見直しは必要だが、クリニカルラダーの概念は構築できた。
教育研修を組織的に行うことで、すべて解決するとは思わないが、いくつかの問題の解決にはなる。

私としては、師長さん達との協働作業をやりとげた達成感がある。
支援室の仕事は、孤独なことが多い。
嬉しいことがあっても、本人が言わないでほしいと言えば、伝えることができない。
口外できない相談事もある。
だから、月1回委員会に向けて、師長さん達と作り上げていく作業は楽しみだった。
病院の現状を知って弱気になることもあったが、皆が自分の責任を果たそうとする誠実さに感心させられた。

一つでも多く具体化できるように、来年は頑張りたい。

1年間、ありがとうございました。


平成24年12月27日  古賀 八重子


2012年12月25日火曜日

看護支援相談室便り No.81

いい言葉は いい人生をつくる (斉藤 茂太)

支援室の掲示版に書いた、今年最後の言葉です。

選挙の間、テレビを見ていると、切なくなった。
自分の意見を主張するために、相手との違いを強調する必要性はわかるが、攻撃的な言葉や、蔑視、嘲笑が、公的な場で平然と言われる違和感。

そんな時、鷲田清一先生の「説得の言葉を:あらたまった言葉について」の文を読んだ。
「他人の言い分にしっかり耳を傾けるとともに、他人にしかと届くよう、自分の言葉もよくよく考えて選ぶ、言葉の作法を大事にしたい」

受け入れられない意見や人に出会った時ほど、丁寧に言葉を選んで話していた先輩、車いすの生活なのに、いつも明るく「すいません、ありがとう」が口癖の自転車屋さん、障害児を抱えて孤軍奮闘している友人は、「大丈夫、困ったことは起こらないよ」と楽天的だ。
認知証の母は、父が亡くなったことも忘れているが、何かやってもらうと「申し訳ありません、もったいないです」と頭を下げる。

いい言葉を使っている人は、みんな穏やかに暮らしている。


平成24年12月20日  古賀 八重子

2012年12月13日木曜日

看護支援相談室便り No.80

再就業支援研修で見えたYさんのお礼の言葉です。
「・・・ほっと一息つける場所でした。
病院内にこんな所があるなんて、スゴイですよね」

私もYさんに、読み聞かせをしてもらいました。
大人になって、絵本を読んでもらったのは、初めての経験です。
とてもステキな、心地よい時間をすごすことができました。
声高に感情を押し付けず、淡々と読みながら、強調する所はきちんと伝わるように読んでくれます。
谷川俊太郎の「おばあさん」と村上淳子の「おかあさんはね」の絵本でした。
どちらも、今の私の心に染み入るようでした。
母を思い、子を思い、温かさが伝わる時間でした。

私のほうこそ、ありがとうございました。

平成24年12月13日  古賀 八重子

2012年12月6日木曜日

看護支援相談室便り No.79

再就業支援研修で、18年ぶりに職場復帰を目指しているYさんの報告は新鮮だ。

職場復帰を決心できたのは、「お母さん。もう十分大切にしてもらったから、働いて良いよ」という子ども達の後押しだったという。
3時まで研修して帰ると、疲れてボーッとしてしまう。
うとうとして気が付くと、子どもが一緒に寝てくれている。
「大丈夫?何か困った事はない?」中学1年生が心配してくれる。
「わからない言葉が一杯で困っている」というと、「困った時はどうしているの?」と聞くので「その場で聞いて勉強しているよ」と話した。
誕生日の時、可愛い付箋紙をプレゼントしてくれたそうだ。
「これ使って、勉強してね」と言ってくれた。
高校1年生の娘さんは、買い物をして、夕食を作ってくれたり、洗濯物を取り込んでくれたという。

「子どもにとって、働く、働かないが問題ではない、
母親自身が、どう生きるか(生きたいか)を自覚して生きていくことが大切だと思う」

4人の子どもたちが、母親の自立を心配しながら見守ってくれている。


平成24年12月6日  古賀 八重子

2012年11月30日金曜日

看護支援相談室便り  No.78

山用のストック(杖)を2本買った。

それは、小さなプライドを捨てる決断だった。
小さい時から走るのが好きだった。
山登りも自然に始めた趣味だ。
山では、下りが得意で、気が付いたら後ろの人が居ないことがよくある。
だから、ストックなど使うようになったら、山を止めようと思っていた。
でも、友人に勧められてストックを使うことにした。
80歳になっても山を歩こうと言われたからだ。

膝を痛め、山登りは無理だと言われたが、リハビリを頑張って回復した友人だ。
杖を使わないで、膝を痛めた人をたくさん見てきた、
特に下山は、体重の3倍の負荷がかかるという、
今のように、飛ぶようにして歩いていたら、いつか膝を痛めると心配してくれた。

山友会を退会してから10年間、山から遠ざかっていた。
地元で見つけた山の仲間は貴重だ。
お互いに健康に留意して、1年でも長く山歩きをしよう、
一緒に歩く人が必要だと確認しあった。

仲間のために、(粟ヶ岳などで使うのは恥ずかしいが)ストックを使う練習を始めた。

自分を必要としてくれる人のためには、何でも頑張れるものだ。


平成24年11月30日  古賀 八重子

2012年11月22日木曜日

看護支援相談室便り No.77

「事実かどうか」ではなく、相手が「とらえた事実」を受け入れよう。

色々なトラブルが耳に入ってくる。
誰が、何を、どう言ったかの追及や怒りが多い。
どちらも、自分は悪くないと思っている。いや、「悪い」と思っていても、相手が「悪い」からそうなったことになっている。
理不尽な攻撃や怒りの対象になれば、誰も言い訳をしたくなる。
私も、管理職の時は、試練にさらされた。
「うそつき」「パワハラ」と言われたこともある。
自分は全くそのつもりはなかったので、攻撃に対して必死に説明をし、防御する行動をとってしまった。でも、理解してもらえない事が多かった。

そんな時、友人から「あなたはそのつもりでなくても、相手がそう思った事実を受け止めなければだめよ」と言われた。
相手の「とらえた事実」を認め、自分の至らなさを謝ってから真意を伝えることで、ある程度の関係修復はできたと思う。

「どちらかが100%正しいということはない」

40年間、姑と同居した友人が、私が息子夫婦と同居するのを知ってアドバイスしてくれた言葉だ。
自分の正しさを主張したくなった時、日々、この言葉を思い出している。


平成24年11月22日  古賀 八重子

2012年11月16日金曜日

看護支援相談室だより  No.76

「仕事の報酬は仕事です。やりがいと人の役に立つだけです。そう思って頑張ってほしい」
奄美群島を視察した徳田理事長の、職員たちへの言葉を読んで、共感しました。

人間は、人のために生きることができる存在だと思う。

私事だが、息子夫婦は、ラルク・アン・シエルが好きで、ホテルをとってライブに出かけていた。おしゃれで、ファッションにも結構お金をかけていた。
それが、子供ができてから、自分達のためにお金を使わなくなった。
日に日に可愛くなっていく娘に夢中だ。

新人たちも、患者さんのために頑張っている時は、辛いことはないという。
看護協会の再就業支援研修で来院中の看護師さんも、18年ぶりに病棟に入って患者さんと関わり、エネルギーを頂いたと感動していた。
攻撃的な言動をしていた患者さんの心にふれたことで、本音を語ってくれ穏やかになってくれたと。
子育てが一段落し、今度は患者さんのために頑張ってみようという看護師さんたちが、生活感覚をもった大人として、いい仕事をしてくれることを楽しみにしています。

平成24年11月16日  古賀 八重子

2012年11月10日土曜日

看護支援相談室だより No.75

卒業生が子どもさんを連れて近況報告に来てくれた。
仕事は、それなりに大変だが、コントロールできる範囲のストレスだという。
患者さんと、いい関わりができると仕事に充実感をもつことができる。
看護師になった人達が、仕事に喜びを見つけてくれるのは、何より嬉しい。
本当に母親らしいいい顔をしている。

今日は半休なので、午後には迎えに行くと言ったら「お昼寝している時に迎えにきてもらう体験をしてみたい」と言ったという。
いつもがまんして待っている5歳児のいじらしさに、ホロッとしていまった。
「おかあさん、心配しないで、保育園は楽しいよ」と言ってくれた息子の言葉を思い出した。


平成24年11月9日  古賀 八重子

2012年11月1日木曜日

看護支援相談室便り No.74

アケビの実がはじけた!

6月から5ヶ月間、同じ車両の定位置に立って、見つめ続けてきた。
菊川駅のカイヅカイブキの垣根に、アケビの実が6つ、からんでいることに気づいたのは梅雨の頃だった。
丁度新人のローテーション研修が1クール終わった頃だったので、「大きくなるには、ひまがかかるだろう」と楽しみにしていた。
最初の3カ月は、殆ど変化がなかった。
大きさも色も変わらす、このまま枯れていくのかと思う程だった。
9月になって、日当たりの良い2つが、うすく色づいているように見えた。
でも、自分が知っている紫色のアケビとは違って、緑がかった灰色なので、まだ先のことと思っていたが、今日、2つ割れていた。
電車からは離れているので、中身は見えないが、確かにはじけている。

日当たりの良い実が、最初に熟れたので「日の光が植物を育てる」という摂理を改めて感じた。

暖かな光と水があれば、ゆっくりでも、成長していく。

私も、新人たちに「遅くてもいいよ、」と言い続けた半年間だった。


平成24年11月1日  古賀 八重子

2012年10月27日土曜日

看護支援相談室便り No.73

此のところ、休日は山三昧である。
先々週は満願峰、先週は竜ヶ岳に登った。
どちらも4時間弱のコースタイムだが、富士山が良く見える絶景の場所である。
山を現実逃避の場にしたくないが、ストレス解消になっているのは確かだ。

新人が一人、退職を希望している。
辞めたい理由が、納得できるものではないので、私は悶々としている。
昨年退職したHさんの時は、「新しい職場で、新しい自分を作る」という彼女の決意を祝福して送り出した。
しかし、今年の場合は違う。
いきいきと輝いていた新人の、精気がなくなっていく姿を見るのは辛い。
支援室として、もっと早く適切な対応をしていたらと反省する気持ちで一杯だ。

人生の視える場所など無い。それは、分かっている。「人生の視える場所」

富士山の美しさの前で、岡井隆の言葉を思い出した。


平成24年10月26日  古賀 八重子

2012年10月18日木曜日

看護支援相談室便り No.72

私はやっぱり赤毛のアンだ。
幾つになっても、天国と地獄の間で心が揺れる。
今は、最悪の状態だ。
ストレスで首から肩が、ガチガチに固まってしまった。
入職して1年半、非常勤職員なので、発言する場や権限は限られているが、プッシュする人や方法を考えて行動すれば、大概のことは良い方向に向かってくれた。
しかし、今回の問題は、「仕方が無い」モードから脱却できない日が続いている。

状況は変わらないが、嬉しい事もあった。
教育委員会で、クリニカルラダーの「基本姿勢・態度」について話合っていた時、あまり発言しない主任さんが、「患者さんからお金を頂いて看護していることを忘れないでほしい」と言った。患者さんからお礼を言われることが当たり前になり、感謝しない患者さんを不快に思う人さえ居る。3年目の目標には「顧客満足度を第1に考えて行動できる」、6年目以上の看護師には「看護単位のリーダーとして、顧客満足度を常に意識し、率先して行動できる」という項目を入れることになった。
「感情をコントロールし、冷静な態度で行動できる」「問題意識を持って行動し、解決にむけて努力できる」など、師長さんたちとビジョンを語り合えるようになったことが嬉しかった。

わかるように伝える技術が教育だと思っている。
やさしさや思いやりが、患者さんだけでなく、働く仲間にも求められている。
「こうあってほしい」という思いを、どう具現化するか、ずっと考えてきた。

まだ何年もかかるかもしれない。
でも、今感じている悩みを、ここで働いている人たちと解決していきたい。


平成24年10月18日  古賀 八重子

2012年10月11日木曜日

看護支援相談室便り  No.71

10月になって、朝夕秋の気配を感じる。
電車の中は、秋色に変わりつつある。
電車通勤の楽しみは、旬のファッションに出会えることだ。
今日は、黒のT-シャツに、カーキ色に薄いベージュの水玉のチュニック、ベージュのショートパンツと黒のブーツの女性が目にとまった。
秋には珍しい水玉模様が、暑さの残る季節を感じさせてステキだった。
私も、カーキ色の服にベージュのスカーフを合わせてみよう。

今日はもう一つ、心とときめくことがあった。


アラ還にはアラ還の恋がある
     さりげなく席を譲りし人の横顔


心が動く日があることが嬉しい。

平成24年10月11日  古賀 八重子

2012年10月4日木曜日

看護支援相談室便り No.70

新人の6カ月振り返り研修を行った。
今年は、ローテーション研修が長かったので、病棟配置後2カ月である。
まず成長できたことを、報告し合うことにした。
日勤の業務が、何とか一人でこなせるようになった、
入院・退院業務ができるようになった、
患者とのコミュニケーションのとり方が上手くなってきた、
SOAPの書き方がまとまってきた、等すぐに答えられた新人達はのびのび元気だ。
しかし、ダブルで仕事をしている新人達は、まだ自立できていないので成長したと思えることが無い、学生時代と同じように、計画を報告し、許可をもらった事を看護師と一緒に行っていると言う。
患者の重症度や新人の個人差もあるので、指導方法について一概には言えない。
ただ人が育つには、信頼と自由な環境が必要だと思う。
私が心痛んだのは、「成長できていない」という病棟の人間関係の希薄さである。
自己・他者評価とも「チームメンバーと良い人間関係を作ることができる」項目が1:できない、になっていた。
チームに入れないのは、新人だけの責任だろうか。
期待されていない事を、毎日感じることに、若い感性は耐えられるだろうか。

「患者と良い人間関係を作ることができる」
「患者に共感的態度で接することができる」は5:非常によくできた、と答えている看護師に適性がないと思えない。
入職時の研修で、人形にも聴診器を暖めて使っていた姿が本来の姿だと、私は信じている。
若い人は、課題があるからこそ、仲間として育てていきたい。

平成24年10月4日   古賀 八重子

2012年9月27日木曜日

看護支援相談室便り No.69

思い出

息子が結婚して、何だか遠くへ行ってしまったような気がする。
「男の子なんて生まなければ良かった」と思ってしまう時がある。
そんな時、古いノートが出てきた。


貝がら
子どもが、がんばり遠足で、浜岡砂丘へ出かけた。
先生から、お弁当に手紙を添えてくれるように指示があった。
私は、波打ち際の絵を描き「お土産の貝がら、楽しみにしているね」と書いた。
帰って来るなり「おかあさん、貝拾ってきた!手紙読んだよ」と言うので
「そう、貝拾っていかなければと思ったの?」と言ってしまった。
「ううん、拾っていかなくてはと思って拾ったんじゃない、拾いたかったから拾ったんだ」「おかあさんのために、ぼく、拾いたかったんだよ」
言われたからではなく、自分がしたかったからした、と。
そういえば、遠足が海だと決まった時から、「貝がらをおかあさんに拾ってくるね」と言っていた。

母親のために、貝を拾ってくる一途な思い、
忘れていた。
私は、今までに十分楽しみを与えてもらっていたのだ。


平成24年9月27日   古賀 八重子

2012年9月21日金曜日

看護支援相談室便り  No.68

この頃、病棟をラウンドするのが辛い時がある。
堅い表情をした怖い看護師さんが増えているからだ。
応援の終了や退職者が増えて、余裕がなくなっているのだろう。
それでも、1~2年目の人達は笑顔を見せてくれる。
患者さんが、新人に癒されるという理由の一つかもしれない。

自分も、厳しい顔で仕事をしていた時があった。
夫の癌が再発して、出口のない暗いトンネルの中を歩いているような毎日だった。
心配してくれた学生たちの「いつも先生の笑顔にいやされているんです」という言葉にはっとした。
「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」
人手不足、信頼していた先輩・同僚の退職、取り残される思い。
忙しさだけではない、先の見えない不安は人の心を萎えさせる。
負の連鎖が充満している病棟の空気を感じる。

「にもかかわらず」、「それでもなお」、人を受け入れる心の余裕を失わないでほしいと思う。


平成24年9月21日  古賀 八重子

2012年9月13日木曜日

看護支援相談室便り No.67

今、どうしたら看護師の仕事ができるようになるか、悩んでいるケースがある。

以前、指導した学生の中で、2人ほど「教育の力では変えられないかも」と思ったことがある。
二人とも、学科試験は合格できるが、実習にいくと、適切な行動ができなかった。
食事介助を見に行くと、ブラインドを下げた暗い中で、必死に食べさせている。
少し明るくしましょうと声をかければ、「はい、わかりました」と素直に従う。
シャンプーをしている時、泡が隣のベットの人に飛び散っていても気が付かないで、洗っている。最初は、緊張して、回りが見えないのだと思い、経験をつめば、できるようになると思っていた。
でも、状況を察したり、自分で考える力が弱いのだと解ってきた。
脳外科の医師から、「前頭葉の機能が正常値の半分しかない、指示待ち人間だから、司令塔がいなければ、大事な判断ができない。とても看護師としては無理だ」と言われた。

真面目で、言われたことは必死にやろうとする。二人とも、1年留年したが、一日も休まなかった。しかし、根本的な問題は解決しなかった。
「後は卒後教育の中で、育ててもらおう」と卒業させたが、就職先の看護部長から「どうやって育てたらいいか、わからない」と何回も電話がかかってきた。
結局、どこの病棟でも働けず、退職した。いまだに心に懸かっている卒業生だ。

メンタル面の弱い学生は、関わりの中で育てていけるが、教育の力だけでは困難だと思い知らされた事例だった。

毎日、一泊旅行に行くようなカバンにたくさんの本を入れて、病院にきているKさん、1週間、支援室で、図書の打ち込みをしてもらったが、真面目な仕事ぶりだった。
病棟では、吸引の操作はできるが、吸引されている患者さんへ思いが向かない、部分しかみることができないと言われている。指導する看護師さんの困惑もよくわかる。
何とか看護師として、働けるようになってほしいと思っているが、アドバイスできる方法がみつからない。
ただ生き方をふくめ看護師を選んだKさんに、働ける場所が見つかることを願っている。

平成24年9月13日  古賀 八重子

2012年9月6日木曜日

看護支援相談室便り  No.66

美味しい話

新鮮でみるい(方言だがこれ以上適切な言葉を知らない)青唐辛子を売っていた。
大きくなりすぎると辛いし、小さいとシシトウと同じで、刺激がない。
採りたての丁度いい大きさの唐辛子を、今年仕込んだ、まだ麹と大豆の匂いが残る生味噌で食べるのは、夏の楽しみだった。
ツンとくる香りと、舌にくるピリピリとした刺激がたまらない。
自分で育てない限り、手に入れることはむつかしいので、ここ数年、あきらめていた。
それが閉店間際の野菜売り場にあったのだ。
まず酒の肴に生で食べて、残りはナスと一緒に丁寧にいためて甘辛く煮ようと、ワクワクして買い求めた。
自転車置き場で、ご主人に「いい青唐辛子が手に入って嬉しい」と言ったら「冬まで、味噌でつけておくと美味しい酒の肴になりますよ」と教えてくれた。
2年物の味噌がたっぷりあるから、漬けてみよう。
冬になったら、細かく刻んで湯豆腐にのせよう。
スモークサーモンやチーズにも合いそうだ。
一番いい時期に、素材を生かして食べる、これこそ食べる楽しみ。

平成24年9月6日  古賀 八重子

2012年8月30日木曜日

看護支援相談室便り No.65

仕事帰りに聞くセミの声も「ツクツクホーシ」に変わった。
残暑は厳しいが雲も秋になってきている。
自然は確実に変化している。

新人たちも病棟勤務になって1カ月、ワゴン車を押して廊下を急いでいる姿をみると
一人前の看護師に見える。
2年目のMさんたちが良い先輩になって、サポートしてくれている。
「私もそうだったよ、としかいえないけれど」と言うが、身近にわかってくれる先輩がいることが、新人の気持ちを楽にしてくれている。

ある病棟では、新人が何もできないので、9月の夜勤を中止したと聞いた。
配属して1カ月だから、夜勤は早いと思うけれど、どうなれば夜勤ができると判断するのだろうか。
某病院では、夜勤導入シートを使ってチェックし、OKになれば夜勤に入るという。
「大学卒がほとんどの病棟で、一番早く夜勤に入れました」と成長を認められた喜びを伝えてくれた卒業生がいた。
「できないことがある」のは「できるようになること」だから心配していない。
できないことが分かった時、どう育てるかという方向にみんなの気持ちが向くような教育環境を作りたいと思う。

平成24年8月30日  古賀 八重子

2012年8月22日水曜日

看護支援相談室便り No.64

17年前、「人間理解のための心理学」を執筆した時、生と死の心理のトピックで、中学生の自殺問題を取り上げた事がある。
「いじめによる中学生の自殺が続発している。死の恐怖を上回る恐怖が学校にある、ということである。自殺した中学生は、日記に(イルカ島のイルカの目を見たら悲しくなった。イルカは人間の言いなりになっているけれど、人間が人間のいいなりになるなんて・・・)と書き遺している。最後まで自分らしくありたいと言う人間としての尊厳が守られなくなった時、人は死ぬ。・・・無視され、いじめられ続けた少年たちは、生きながらにして、心理的死、社会的死を味わっていたと言えるだろう。・・・
希望の小窓を閉じさせないサポートが大切である」

理不尽な形で人生を終えた中学生の悲しみや家族の無念さを思うと、言葉がない。
しかし、同じように、いじめてた中学生の心の闇を思う。
何て寂しい人生を生きているのかと思う。
近くに、彼らを救う大人はいなかったのだろうか?

亡くなった夫は、どんな生徒にも先入観なく入っていく人だった。
悪いことをしていれば、躊躇なく叱った。
でも、その後「元気か?」「夏休みの予定はあるのか?なければ家に来い。海でもいいぞ」「元気が余っているなら柔道をやらないか」等と声をかけていた。
何より仲間を大事にしないといけないと言い続けていた。
夫にとっては、生徒も同じ仲間をして大切にすべき人間だった。

守ってくれる人がいる、守りたい人がいる、そんな幸せを思う。


平成24年8月21日  古賀 八重子

2012年8月16日木曜日

看護支援相談室便り No.63

退職して8ヶ月ぶりのHさんは元気だった。
入職以来、一度も欠勤していないそうだ。
私は、前日から、落ち着かなかった。
「メンタル面をどう乗り越えたのか?」
「私の指導は今の病院と、どう違ったのか?」
聞きたいことが一杯あった。

「良く知っている教員が病棟師長だったこと」
「人を殺さないかぎりチャレンジしていいよ、責任持つからと、何でもやらせてもらえ期待されていると思えた」
「日々変化を見て、ここが変わったねと言ってもらえた」
「上司・同僚ときちんと会話ができた」
「新人という枠でみられていない、仲間として接してもらえた」
「ビクビクしないで仕事ができた」
「いつまでも独り立ちできない自分が辛くて、どんどん陥込んでしまったが、新しい病院では自分でもやれる、できるじゃんと思えた。」
「必要とされている居場所が見つかったので、がんばれる」

今、Hさんは、遅くまで残って勉強しているという。
殆どの看護師は新人を大切に育てたいと思っている。
ただ、育てたい気持ちをどう伝えるか、スキルを含む課題がある。
できない事を指摘されても、新人は気つかない。
人格や存在を否定されたと思った時、心が折れる。
メンタル面に課題の多い新人は増えており、離職させない特効薬はない。
ただ有効な関わりの一つは、「無条件で肯定し受け入れる」職場風土だと思わされた。
問題児としてみている限り、問題は解決しない。
「居場所がない」という人は、「自分がここにいてもいいんだ」と感じられないでいる。
その気持ちを受け止めないで、指導を強化しても効果は上がらない。

最後に、Hさんが「支援室をこのまま今の病院にもって行きたい。支援室のような場所があったらと思う」と言ったくれた。

「大丈夫、ここに居ていいよ」という場所であり続けたい。

平成24年8月16日  古賀 八重子

2012年8月7日火曜日

看護支援相談室便り No.62

オリンピック観戦で、寝不足が続いている。
しかし、一流の選手の芸術のような技やスピードを見るのは楽しい。
努力だけで可能になる夢ではないが、どんな天才でも「薄紙をつみ重ねていくような地道な努力」をしての結果と思うと、凡人も「がんばろう」と励まされる。

新人も8月1日から病棟配置になった。
研修と業務の格差に戸惑っている状況だが、目標に向かって努力してほしい。
ありきたりの言葉だが、「夢はかなえるためにある」のだ。
いつか自分の胸に、自分で金メダルをかけてあげられるように。

平成24年8月7日  古賀 八重子

2012年8月2日木曜日

看護支援相談室便り No.61

以前一緒に働いたIさんから、定年になった挨拶状が届いた。
再雇用を1年お休みして、「今までとは違った生活」をしていると言う。
平日は農作業、土日は遊びに一生懸命。
夢枕獏の空海を描いた著作に刺激され、西安、敦煌、ウルムチ、トルファンに行ってきたと。
相変わらず時間に追われる生活をしている私には夢のような話だ。

「木の葉は休みの前の晩の小娘たちみたいに、おしゃべりし合っている。もう直き、樹から暇を貰えるのだ」
落ち葉は、1年の労働のあとで木の葉に与えられる休暇のようなものだという。

私も、がんばった後の休暇を楽しみにしていこう。

平成24年8月1日  古賀 八重子

2012年7月30日月曜日

看護支援相談室便り 番外編

支援室OBとのティータイムへ来て下さい。

8月8日(水)15:00~16:00
昨年退職したHさんが支援室に来てくれます。
病棟に行けなかったHさんが、他の病院で元気に働いているという報告はNo.58に書きました。
徳洲会を退職しても、看護師を続けてくれればいい、
いつでも、どこでも、やり直しができる事を伝えて、安心して進路選択をしてほしい、
と思っています。
新人が、道半ばで挫折していくのを見るのは残念なことです。
必要とされれば、「居場所」が見つかるまで、援助し続ける存在でありたい。

Hさんを知ってる人も、知らない人も、会いに来てください。

平成24年7月30日  古賀 八重子

2012年7月24日火曜日

看護支援相談室便り No.60

短歌をやっていて良かったと思うのは、共感できる歌やいい表現に出会えた時だ。
美しい花や絵を見た時のようにときめく。
今回の歌会は、雨で二番煎じが終わらなかった農家や、急に仕事が忙しくなった人が居て二人だけの会だった。
しかし、Hさんの歌は共感でき、世界を広げてくれた。

それぞれの緑を持ちて木々達は、けもののごとく揺れて鳴りいる

黄味帯びた再生紙で届く通知書は「主文」で始まる「後見人許可」

緑を輝かせていた新緑の木が、台風でしなり狂い鳴くような声をあげている状態、
障害者になった弟さんの後見人通知の事務的文書が、再生紙に印刷されていたことに悲しみと覚悟の中で、少しほっとした気持ち。
私は、二首の歌に思いを重ねることができた。

歌会の後も、Hさんが読んだというバージニア・ウルフの
「精神の独立のためには自分一人の空間と何がしかの収入が必須だ」(私ひとりの部屋)という言葉に盛り上がった。
この会には、私の大切にしているものがある。

平成24年7月23日  古賀 八重子

2012年7月17日火曜日

看護支援相談室だより No.59

私は、仕事の話を聞くのが好きである。
卒業生から、入職3カ月の奮闘ぶりを聞いた。
新人が叱られているのを見た患者さんが、「皆新人の時があったんだよね」と助けてくれた。「ありがとう、助けてくれて」と言ったら「何もしてないよ、当たり前のことを言っただけ」と笑ってくれた。完治しない病気と闘っている人のさりげない優しさに救われるという。トラベルビーのいう「人間対人間の関係」が成立する実践の場だと思う。

認知症だという患者さんに「昨日、ホタルを見にいきました。Kさんの近くにも見れるところがありますか」という話から会話が弾み「病院に来るのはいやだけど、この頃と楽しくなった。病気が少しずつよくなっているのがわかるから」と言ってくれた。
ほとんど反応がないという記録が続く中で、新人が、そのような事を記録に書いてもいいか先輩に聞いたら「自分もそういう事を記録に書きたいと思っていた」と言われ嬉しくなったという。
誰でも、仕事をしていて、嬉しい事があった時、確認してくれる人がほしい。
伝えたい相手として、私の所に来てくれることはうれしい。
でも、彼女の周りにも、「伝わる」「つながる」「分かり合える」人が増えたら、もっと嬉しい。

平成24年7月17日  古賀 八重子

2012年7月9日月曜日

看護支援相談室便り No.58

昨年11月に退職した新人のHさんから、メールと電話があった。
「新しい病院で、見違えるように変わったと思います。外科病棟で夜勤も2交替で月7~8回入ったり、完全にメンバーでやっています。期待をもたれているからか、日々やりがいをもってやれています」
「以前のようなメンタルの症状は全くありません。自分でもびっくり。元気にやっています。それを伝えたくて電話しました。」

Hさんとは、支援室で1日中一緒にいたり、一人では病棟に行けないと言われて付いて行ったり、濃厚な関わりをした。社会人としては、通用しないという批判もあった。でも、いつか必ず自立してくれると信じていた。
彼女が自分のことを表出できるようになって、あと少しで落ち着くと感じた頃、
「こんなに甘やかされた?環境ではだめになってしまう。新しい病院で頑張りたい」
と退職を告げられた時は、無力感におそわれてしまった。
しかし、徳洲会での7カ月があったから、新しい病院で頑張ろうというエネルギーが湧いたのだと、勝手に解釈して見送った。

「今の病院では、期待をもたれているから」という言葉には、私たちも、「期待していたのに」と言いたいが、当時のHさんの心には負担だったのだろう。
「看護は好き」なのに、「看護師の仕事ができない」と悩んでいたHさんが、元気で看護師を続けているのは嬉しいことだ。
居場所が見つかれば、人は自立していけると改めて教えられた。

平成24年7月9日  古賀 八重子

2012年7月3日火曜日

看護支援相談室便り No.57

やはり「北風より太陽」だと思うことがあった。

支援室には、ささやかだが図書室があり、貸出しをしている。
いくら催促しても返却してくれなかった人が「本を返しにきました」と来てくれた。

貸し出して1年以上たった本だったが、催促に行っても、顔もみてくれず「探してみます」と言うだけで連絡はなかった。
貸出し規定には、冊数や機関は定められているが、紛失した場合の責任については定められていない。でも失くしたならそれなりの手続きをしえほしいと、メールを送信し続けたが反応はなかった。
今回、その人が看護研究のメンバーになり、1年間関わることになった。
私は、自分の気持ちに嘘がつけない人間なので、これから1年間、関わっていくことを思うと、正直ゆううつな気持ちになっていた。
こんな気持ちのまま指導はできないと考え、最初に図書の事を解決しようと思った。
しかし、講義のすぐ後、すがるような目をして「研究はやった事が無いので心配です」と言われると「文献をさがしながら、少しずつ進めていこうね」という私の中には、こだわりが消えていた。
彼女は、仕事の帰りに、文献をさがしにくるようになった。

そして、本は返ってきた。
6400円の本が返却されたことより、まっすぐに目を見て話せる人が、増えたことがうれしい。

平成24年7月2日  古賀 八重子

2012年6月19日火曜日

看護支援相談室便り No.56

訪ねれば笑ってくれる母がいる
 私が誰かわからなくても

いつものようにグループホームの母を訪ねた。
帰ろうとした時、「Y子、ありがとうね」と弟の長女の名前を言った。
間違える時は、いつも長女の名前だ。次女や三女の名前で呼ばれたことはない。
私が長女だということは残っている。それでいいと思って帰る。

今日は一緒に柏餅を食べた。
「おいしいね」「やっぱり柏餅はMのヨモギ餅だね」
たわいのない会話をしながら、無防備な状況を楽しむ。
母は、そうだね、大変だね、良かったね、辛いねと、私の気持ちをそのまま受けとめてくれる。訂正したり、批判することはない。ずっと昔からそうだった。
若い時は、そんな従順で、己を持たない(ように見える)母に、反感を持ったこともある。

でも今は、神経のすみずみまでゆるんでいくような時間を、かけがえのない大切なものだと思っている。

平成24年6月19日  古賀 八重子

2012年6月12日火曜日

看護支援相談室便り No.55

私は、厳格な父に育てられ、しっかり者の長女を演じて来たので、甘えるんが苦手である。
 しかし、先日の大雨で、安倍川駅で2時間近く足止めされた時、迷惑を承知で、友人に助けをもとめてしまった。
 前日の大雨の時は、すぐにタクシーで静岡駅に行き、東海道線で帰ることができた。
 新幹線は運転を見合わせていた。
 そのため、安倍川に行ったほうがいいと判断したが、静岡~掛川間が不通になっていた。
 待合室もない駅で、いつ動くかわからない電車を待ったが、限界になり、静岡に行って新幹線に乗ろうと思った。しかし、タクシー待ちの行列が続き、いつになるかわからなかった。
 安倍川に住んでいる友達は、小学生の子供もいて、夕食時だと思うと躊躇したが、「今日は帰れないかもしれないぞ」と話ししている声が聞こえ、不安になって電話してしまった。
 友達は、すまなそうに「今、体調不良で休んでいる、少ししたら行けると思う」というので、「大丈夫、何とかなるから」とあわてて電話を切った。かけなければよかったと後悔した。
 5分位するとご主人が帰ってきたので、迎えにいくと電話があった。固辞したが、もう出たからと言われ乗せてもらうことにした。電車で4分の所を、40分かかった。
 帰りも同じように時間がかかると思うと恐縮したが、初めてお会いしたご主人も気持ちよく送ってくれたので、「地獄で仏」の思いで感謝した。
 感謝の気持ちをどう伝えようか、考えているうちに、メールが入った。
 「お待たせして申し訳ありませんでした。先生の顔が見れて話ができ元気がでました。ありがとうございます。何かありましたらいつでも電話下さい。今度はすぐに伺います」
 涙がでた。こんなふうに優しくされていいのかと思った。私は、彼女に何をしてやれるだろう、何をしてきたんだろうと考えると、もったいなくて身が縮んだ。
 でも、今、甘えたことを、後悔していない自分がいる。

平成24年6月12日  古賀 八重子

2012年6月5日火曜日

看護支援相談室便り No.54

新人さんにとって、1ヶ月半ぶりの技術研修だった。
MEさんから人工呼吸器と輸液ポンプについて、説明を受けた。
メカニズムから操作の説明だけでなく、MEさんの仕事の責任と誇り、看護師の仕事への理解など感銘を受けることが多くあった。
線で仕事をしている看護師を、点でサポートしているというチームの話もわかりやすかった。
「困った時はいつでも聞いてください。夜でも電話くれれば応えます」
「わからない事は、何回でも説明しますよ」と言ってくれた。

今年の新人は、楽天的でたくましいと思っていた。
ローテーション研修も、1病棟1ヶ月と長いのでゆっくりできると思っていた。
しかし、話をきいてみると、そんな単純な状況ではないとわかった。
そんな時、仲間として、受け入れてくれる他職種の人のやさしさは救いだ。

平成24年6月5日  古賀 八重子

2012年5月31日木曜日

看護支援相談室便り No.53

帰りの電車は、いつものように満員だった。
何とか乗ったが、男子高校生のカバンが胸に当たって痛い。
一駅か二駅で空くだろうと思って我慢していた。
高校生たちは、無言で携帯電話を操作していた。
そのうち、一人が気が付いて、「オイ」と声をかけ目配せしてくれた。
隣の高校生はすぐバックの位置を変えてくれた。
「ありがとう」というと、4人ともこちらを見て、あたたかな目をして笑った。
バラバラに見えて、ちゃんとつながっている。
気持ちのいい若い人を見た。

 先日は、同年輩の女性のステキな交渉術をみせてもらった。
入り口付近に女子高校生が4~5人固まっていて、身動きができない状況だった。
ただ、電車の中ほどには空間があって、詰めればまだ乗れる余地があった。
その人は「あなた達は何処までいくの?」と声をかけ、「藤枝」と聞くと「私は、焼津で降りるの、あなた達が中まで詰めてくれると助かるんだけど。お願いできる?」と笑いながら頼んでくれた。
私は、なかなか「もう少し詰めてくれませんか」と言うことができない。
相手の不快な反応や、困ったという心の動きを考えると、ひるんでしまう。
いとも簡単に、高校生を動かしてしまった女性に、見とれてしまった。

平成24年5月28日  古賀 八重子

2012年5月23日水曜日

看護支援相談室だより No.52

私は思い込みの激しいところがある。
勝手に期待して裏切られたと思って落ち込む。
今回のこともそうかもしれない。
でも、すべての師長さんと心が通じ合った気がした会議だった。
今年から、研修制度を変更するということで、3月中旬から、分担作業を行ってきた。
全体像が見えず、個々の研修を手探りで組み立ててきた。
やはり、基本の考え方を核にしないと、研修の企画はできないとわかり、勉強会からスタートすることになった。
その中で、新人や中途採用者をどのように教育していくか、主任や副主任をどう成長させるか、日々の悩みや思いを共有できた。
学校のように、「どういう学生を育てたいか」概念枠組みをきちんとして、カリキュラムを構成するようには、時間をとれない。
しかし、こんな看護師になってほしいという期待を具現化したい。
静岡徳洲会病院に来て良かった、5年先が楽しみと言ってもらえるような研修制度を作りたい。

師長さんたちと一緒に頑張りたいと思う。

平成24年5月23日   古賀 八重子

2012年5月14日月曜日

看護支援相談室便り No.51

クレーマーの気持ち

5日、駅構内のお店で買ってきたいちじくジャムが、日切れだった。
連休中で、お店が混雑していたので、4月30日という賞味期限に気が付かなかった。
数日前から、いちじくジャムがあると気が付いていたので、美味しいフランスパンを買って来て食べようと思っていた。静岡まで出かけ、パンを買ってきたので、あきらめきれない気持ちだった。

生産者に聞けば、5日位は大丈夫と言うかもしれないと思ったことと、まだ2個残っていたので、遠くから来た人が買って行ったらかわいそうと思って電話をかけてみた。私の未練がましい気持ちは伝わらず「食べないで下さい。次にお見えになった時、返金します。すいませんでした」と言われた。
翌々日、勤務先まで持っていくのも重たかったので、自転車置き場に置き、夕方とりにいってからお店に行った。途中で野菜のワゴン車を片付けているのに出会った。
閉店は8時だったので、7時15分に片付けているのに驚いた。
こんな事が無ければ、野菜も買えたのにと少し感情的になってしまった。
レジの人は、私がジャムの瓶を出して「賞味期限切れだったんですけど」と言った時、すぐに反応しなかった。金額を聞く前に、まず「すみませんでした」と言ってほしかった。

このお店には、私の大好きな店員さんが何人かいる。
出張で早く帰れると良かったですねと喜んでくれる人。
パンを忘れた時、自宅まで連絡をくれた人。日本酒が分からない私の相談にのってくれる人。探している商品を一緒に見つけてくれる人。
私は、「プロだなあ」という仕事をしている人達を尊敬している。
地元の職人さんの商品も魅力だ。だからこそ、商品管理をしっかりしてほしい。

地元のお店として、大切に思っているからこそ、苦情を言ったのだ。
期限切れを見つけた時は、それほど腹がたってはいなかった。
ただ、困ったとおもっただけである。でも、その後の対応で傷ついた。

弁償してほしいのではなく、気持ちを受け止めてほしかっただけである。

平成24年5月14日  古賀 八重子

2012年5月8日火曜日

看護支援相談室便り No.50

最初に母から教えてもらった家事は、洗濯物の干し方・たたみ方だった。
干し方を見れば家の中が分かるから、見苦しくないようにと注意された。
隣村にとてもきれいに干してある家があるから見てみなさい、と言われたこともあった。
その母は、洗濯物をたためなくなった。
特に、襟や袖のあるブラウスなどをたためない。
必死になって、どんどん前のめりになっていく。

ブラウスを何回やってもたためない母は小さく丸まる。

小さくなった母を見るだけでも辛いのに、施設の方から「洗濯物もたためなくなったので、箒をもたせています。掃除はできなくてもいいので」と言われた。
でも、次に行った時の人は「いつも洗濯物をたたんでくれるんですよ。助かります」と言ってくれた。

どんな状況でも、その人らしく生きていけるように、生活を整えることが看護だと思ってきた。
私は今、母が洗濯物をたためる日が一日も長く続くように願っている。

平成24年5月8日  古賀 八重子

2012年5月1日火曜日

看護支援相談室便り No.49

フィジカルアセスメントの研修を行った。
今年は、念願のトレーニングモデル「フィジコ」を購入してもらい、実践的な研修ができた。
講師は、新人はまず急変に気づくことが大切だと、呼吸・循環・意識に焦点を置いた演習をしてくださった。
相互に練習する場合と違って、呼吸音や腸音の異常が体験でき、いい学びに繋がった。午後には、心電図もとれるようになり、初期事例への取り組みもできるようになった。

演習中の先生の発問や肯定的な評価に、プロの教員の指導力を見せられた。

先生は、「人形にあてているのに、いつも聴診器をあたためて使っている」とMさんをほめてくれた。
技術を上手に教える人はたくさんいるが、「人を相手にしている技術」として教えることはむつかしい。
3年間で、自然にそれができるようになるように教育した人たちと、できるようになった新人に感心した。
「いい教育しているなあ」と、嬉しくなった。

去年も、そう思うことがあった。
今年もそういう新人が入職してくれた。

平成24年5月1日  古賀 八重子

2012年4月27日金曜日

看護支援相談室便り No.48

部長から、師長さんが、1年たったMさんのことを「上手に育ってくれた」と褒めてくれた。
支援室でMさんと一緒の時だったので、「本当ですか」と一緒に喜ぶことができた。
3月の最終評価も、自信がもてないと低く付けてきていた。先輩看護師から「マイペース」「遅い」と言われることが多く、いつも「自分は問題児です」と言っていた。でも、患者さんを大切にして、手抜きをしない看護をしている。
忙しいからと、省略しない。
器用ではないので、忙しいくなるとパニクるけれど、Mさんの明るさと自由な魂は、とても魅力的だ。

師長さんが、Mさんを肯定的に見て、信じていてくれたからこそ、いくつかのトラウマを抱えながら、1年間、頑張れたのだと思う。

新人たちは、2年目になった先輩たちを、まぶしく受け止めながら、「今日よりは明日」とがんばっている。

平成24年4月27日  古賀 八重子

2012年4月23日月曜日

看護支援相談室便り No.47

今年度から、ローテーション研修を「基本的知識・技術の習得」を目的に、到達度で評価(チェック)することになった。
技術チェックをする場合、評価基準をどう統一するかは、非常にむつかしい。
手順書を作成し、デモンストレーションを行なっても、評価者による差はある。
学校では、合否が単位認定に繋がるので、評価に対して、新人はナーバスになっている。
しかし、臨床で手順書をチェックするのは、大変なことだ。
かぎりなく厳密に手順書を作成するか、対象に応じた基本がわかればいいと考えるか、その確認が不十分だった。

正解をどのレベルにするか、
他がどんなに完璧であっても、忘れてはいけない手順・原則、
忘れたり、順序が違っても大きな問題はないこと、
看護には、あいまいなことが、たくさんある。

でも、看護師の仕事を、どう考え、何を大切にしていくか、基本に添って考えることが第1だと思う。
患者さんの安全・安楽・人権を守るために、大切なことは何か、
臨床現場だからこそ、大切な事を、しっかり教えてほしい、と思う。

平成24年4月23日  古賀 八重子

2012年4月16日月曜日

看護支援相談室だより No.46

春になって、新しい花が次々配達されてくる。
もう夏の準備が始まる季節だ。
三色の寄せ植えで、人目を引いたフリル咲きのパンジーは、中心部の花が少なくなってきた。
そろそろ処分しなければと思ったが、まだ外側はきれいに咲いているので、庭の奥の石の上においてみた。
中心部は見えなくなって、外側のきれいな花が、十分はなやかな空間を作ってくれた。

場所を変えることで、いきいきする。
人間も同じことだ。
3年前、相談室にいつも駆け込んできた人が、配置場所が変わったら、落ち着いて仕事をしている。

今日から、新人たちは、ローテーション研修に入った。
それぞれの病棟の技術を身に付けながら、自分に適した場所を見つけてほしい。

平成24年4月16日  古賀 八重子

2012年4月3日火曜日

看護支援相談室だより No.45

日曜日の午後、里山に登った。
夫の命日に近い休日には、一人で里山の桜を見ることにしている。
頂上に7~8本、谷に20本ほどの桜だが、静かに楽しめるお気に入りのスポットだ。
空一杯に広がって咲いている桜は美しい。

散る桜散らぬ桜も散る桜 今年あらためて桜花みる

夫の1周忌に本歌取りして作った歌だが、今年も同じ気持ちだ。
満開の桜を見ながら、散る桜に想いを寄せてしまう。
長い冬に耐えて、ふくらんだ蕾が、春の光の中で開き、散っていく。
すぐ新緑になり、青々とした葉が茂り、秋には紅葉して終わる。
しかし、その時には、来年の花芽が準備されているのだ。
一回り大きくなった木に、また花が咲く春が来る。
自然の摂理は、美しくたくましい。

今年もまた、新人がスタートする春が始まる。
1年間の変化を、みんなで見守り、成長を楽しみたい。

2012年3月30日金曜日

看護支援相談室だより No.44

久しぶりに9階に行って駿河湾を見ました。
海はおだやかに光り、菜の花と桃の花が満開です。

去年の4月に入職して1年がたった。
今日は、エイドのMさんが「最後の日だから一緒に御昼を食べてもいいですか」と訪ねてくれた。4月から看護学生としてスタートする。
3月は別れの季節である。

でも、あたらしい出会いも始まっている。
昨日は、新卒の看護師さんがご両親と尋ねてくれた。残念ながら国家試験は不合格になってしまったが、この病院を選んで遠くからきてくれた卒業生だ。
何としても、来年は合格できるようサポートしていこうと思っている。
前任校の学生に頼んだら、すぐに自分が使った国家試験対策の本や苦手問題をまとめたノートを届けてくれた。全国模試で満点をとった学生の協力である。
これもありがたい出会いのひとつだ。
春休みになって、北海道からのインターンシップの学生や、地元の看護学生が来てくれている。リンゴみたいな赤いほっぺをして、緊張している姿は本当にかわいい。
看護師の仕事や病院を選択してくれた若い人たちの夢を大切にしてあげたい。

また、4月から、皆と一緒にがんばっていきたいと思います。
1年間、おつかれさまでした。

平成24年3月30日  古賀 八重子

2012年3月27日火曜日

看護支援相談室だより No.43

3月14日息子に子供が生まれた。
新生児の日々の変化にも感動するが、息子の変化に驚いている。
逆子がなかなか直らない時も「意思の強い子だ、自分の好きな場所があるんだろう」と感心していたが、毎日「泣き声が大きくていい」「夜はおとなしくておりこうだ」「まだ3日目なのに、自分がベロをだしたらベロをだした」と「親バカと言われるかもしれないが」と言いながら褒めまくっている。
私は、こんなに丁寧に子供と向き合った記憶がない。

1年間、新人と向き合ってきて、思うことは、人は「温かい関心をもってくれる環境の中で育つ」ということだ。
今の自分が受け入れられているとわかれば、相談もできるし、弱音も吐くことができる。もちろん、すべてのではないが、若い人と自分たちの団塊の世代の違いは、自己効力感(肯定感)の大きさにあると思う。
何で、そんなに謙虚に、自身のなさを抱えて生きているのかと思うほど、自分を否定する。その上に「できない」という言葉や、事実が起こると、どんどん自分を追い込んでダメになっていく。止める理由はわかっているのに、止まらない連鎖が続いていくのは切ないことだ。
しかし、忙しい現場の中で、ほめることを目的化した指導は虚しい。

褒めて育てるなんて、理屈ではない。
心の思うままに、自然に、相手の変化を受け止め、声にしていけばいいのではないか。

そんなことを感じさせられた春でした。

平成24年3月27日  古賀 八重子

2012年3月15日木曜日

看護支援相談室だより No.42

Sさんとの思い出 3

昨日、SさんからMデパートでやっている相棒展2へのお誘いがあった。
あいにく土・日の予定があって一緒に出かけられないが、久しぶりのメールは嬉しかった。

3年前の12月、Sさんの心が楽になった日の事を思い出した。
ある看護師が「一人で仕事をしているのではないので、フリーの人に頼めばいいんだよ」と言ってくれた。チームで仕事をしているのだから、人を頼っていいんだと言われ、肩の力が抜け楽になったという。
新人の時から、できない、頑張れと言われて来た。訴えの多い患者さんに、1時間近く関わらざるを得ないこともあり、仕事が遅れることが続いた。その結果「ナースコールに出ること位しかできないのだから、必ず出てちょうだい」と言われ、病棟の端にいても、コールの音が聞こえると走って出るようにしていた。
気が付いた看護師が、「近くにいる人が出るからいいんだよ」と言ってくれた。
言葉の力のすごさを知った。
この病棟で頑張れそうというSさんの、ふっきれたような笑顔を見て、もう大丈夫だと思った。相談室での2ヶ月を経て、初めて病棟へ出てから7ヶ月たっていた。
待っていれば、人は変わる。そのことをまた教えてもらった。

平成24年3月15日  古賀 八重子

2012年2月20日月曜日

看護支援相談室だより No.41

短大の実習が終わりました。

終了後のアンケートをまとめた。
自由記載の欄には、「最初の実習がこの病院でよかったです。患者さんだけでなく看護師さんからも学ぶことが多く、ここでの実習は、卒業してからも忘れないと思います」「看護師に必要なものは何か、病院とは何か、看護とは何か、大切なことを学ぶことができました」「いつ、どんな時も、広い心で接していく大切さ、患者さんを思いやることが、医療の基本であることを学びました」「学生が、相談や質問をしやすい環境を作ってくださってありがとうございます」など、感謝の言葉があふれていた。
すぐに、病棟の師長と指導者に持って行った。
師長さんは、「鳥肌が立つほど嬉しい」と言い、指導者は「こんなこと書いてくれて」と喜んでくれた。
初めて実習指導に関わった指導者の不安を知るだけに、とても嬉しい。
実習病院へのリップサービスもあると思うが、終了後の無記名のアンケートであり、評価に関わるものではないので、学生の気持ちを素直に受け止めたい。
看護部長にも、こういう学生の反応こそ、皆に生情報として伝えてほしいとお願いした。

1年生の初めての実習だから、看護を好きになってもらおうと、ていねいに向き合ってくれた看護師さん達、それを素直によろこんでくれた学生さん達。
「大切に思っている」「あなたを受け入れている」というメッセージを送ることで、「受け入れられている」と感じることができる。そして、初めて自分自身を指導者に託すことができる。そこから教育が始まる。
実にシンプルな法則だが、現実はそう上手くいかない。
でも、本気で取り組めば可能なことだと、感じさせられた実習だった。

平成24年2月20日   古賀 八重子

2012年2月16日木曜日

看護支援相談室だより No.40

「ありのままを受け止めること」

立てず聞けず食へず話せず父の冬   正木ゆう子
花びらの顔にかかればうれしくて父はかがやく鼻水たらす  小島ゆかり

私もこの頃、認知症の母の歌を作り続けている。
グループホームに入ってから、会う度に変わっていく母は、私のことも分からなくなってきている。突然、「誰の嫁さんだったかね」と聞く。
私が来たことも、喜んでいるのか、わからない時がある。そんな母を見るのが辛くて、2週間、会いに行けなかった。
そんな時、正木ゆう子の俳句と、小島ゆかりの短歌を読んだ。
「詠むことで、その場面が肯定される」という作者の言葉に一つの救いを得た。
震災も介護も、ただただ詠むしかない。混沌は混沌のままに、詠み尽くす。
詠まなくてはと思ってではなく、湧いてくる思いを詠んでいくことで、救われるものがあると。

母の生きている証、今の母の喜びや哀しみ。
私は、表現者として、いや娘として、ありのままを見つめ、遺していこうと決めた。

この頃、気が付いた事がある。
母のことを、ずっと見守ってくれている入所者(男性)が居る。
排泄の失敗をして部屋に籠っていると聞いた時も、発熱した時も、「心細いと思って」と、心配して付いていてくれた。
部屋を閉めて話ししていると、のぞいて「だいじょうぶ?」と聞いてくれる。
このホームにも、母を大切に思ってくれている人が居る。
昔、子供心にも、母を想っているとわかる人が何人かいたことを、思い出した。
母は、守ってあげたくなる可愛い女性なのだ。

母のこと守ってくれる騎士がいてグループホームに二人寄り添ふ

平成24年2月16日   古賀 八重子

2012年2月13日月曜日

看護支援相談室だより No.39

寒い朝

冬の朝の寒さは、本当に厳しい。目が寒くて涙がでる。
そんな時はいつも、吉永小百合の「寒い朝」を歌いながら、自転車を走らせる。
「北風吹きぬく寒い朝も、こころひとつであたたかくなる」
歌声喫茶の時代の歌である。

自転車置き場には、ストーブを用意して、ご主人が待っていてくれる。
手をかざす余裕はないが、子供の頃の、焚き火を思い出す。
駅には公営の安い駐輪場があるが、私は、個人の小さな自転車屋さんに預けている。

「いってらっしゃい」「お帰りなさい」と言ってくれる暖かさがある。
朝夕に交わすさりげない会話に、心が癒される。
雨ガッパを前かごに投げ入れて電車に飛び乗っても、乾かして畳んでおいてくれる。
タイヤの空気が減っていれば、入れておいてくれる。
「今から帰って食事の支度では大変だね」と奥さんは、毎日、心配して声を掛けてくれる。息子のお嫁さんが、夕食を作ってくれるようになったと言ったら、自分の事のように喜んでくれた。

3時間の通勤を支えてくれている、私のネットワークの一つです。

平成24年2月13日  古賀 八重子

2012年2月10日金曜日

看護支援相談室だより No.38

Sさんとの思い出2

6月19日 Sさんが久しぶりに支援室に来室。
1時間話しても足りないようす。医師も師長さんもいない時に、患者さんが急変し嘔吐した。すぐに顔を横に向けて、吸引し、バイタルを測定して連絡できた。
今までのように、パニックにならずにできた、と興奮気味に話してくれた。
導尿をやってくださいと言われたが、「一人ではできません、一緒にお願いします」とできない自分を表現できたという。
できないことを、できないと言えることは、彼女のひとつの課題だった。

小児科で、実習指導をしていた時、白血病の患児にトイレトレーニングをする是非について学生と悩んだことがある。データが悪化すれば、絶対安静になって、すぐにオムツになる。落ち着いている僅かな時間に、してあげることは他にあるのでは、と迷うことがあった。しかし、オマルで排泄でき、「できた」と言って喜ぶ顔を見た時、成長できた喜びは、人間にとって最高のものだとわかった。

新人が、どんなささやかな事で喜ぶか、知ってもらいたいと思う。
そして、その事を共に喜んでくれる仲間が居ることで、どんなに幸せを感じるか、わかってほしい。

平成24年2月10日  古賀 八重子

2012年2月6日月曜日

看護支援相談室だより No.37

Sさんとの思い出 1

Sさんとの関係が動いたのは、5月の連休明けだった。私が、1週間近く休んだ後、彼女は来なくなった。いつもなら、電話をすればすぐ返信が来たのに、返事がこなかった。5月の連休明けを心配していたが、その通りだった。一人でいって、不安になっている姿が浮かんだ。電話をし続けて5日目、やっと連絡がついた。やはり、連休の間、落ち込んだようだ。しかし、「なんとかしたい」という気持ちが勝ったことが嬉しかった。
「やりかけのパソコンの仕事があるし、寮で何かあれば、病院に迷惑がかかるから」という理由に、Sさんの責任感の強さを感じた。

それから、私と彼女は、本気になって、職場復帰の計画をたてた。6月から半日でもいいから病棟に行く。給料をもらって申し訳ないと考えなくてもいいように、研修の形で復帰する。寮をでて、実家から通う。経済的なことは父親に相談して解決する。

6月3日、私とSさんは一緒に病棟に行った。
甘いと言われるかもしれないが、そうせざるを得ない思いがあった。
4月1日、病棟に行った時、次の日には行けなくなった。
そのトラウマを、今度は絶対になくしたいと思ったからだ。
4月の時、新しい病棟の人たちは、あたたかく迎えてくれた。心配はことは何も起こらなかった。でも、その穏やかさが信じられなかった。この病棟でも、昨年のようなことが起こって。「だめな人間」になるかもしれないと思ったら、怖くて、病院へ行けなくなったと言うのだ。

ここに居場所があると思ってもらいたくて、私も病棟に行った。

平成24年2月6日   古賀 八重子

2012年1月30日月曜日

看護支援相談室だより No.36

「折り合いをつける」

退職したSさんと話した時、「この頃、折り合いがつけられるようになった」と言う。
以前は、相手の言葉や求めていることと違う思いがある時、自分の気持ちをコントロールできなかった。
「できない新人と言われるのは事実だから耐えられる。でも、頑張ってやって失敗した時に、できないダメな新人という批判には耐えられない」と話してくれた事がある。
今、人や事柄に対して、そういうこと(考え)もあるとわかって、自分なりに折り合いをつけることができるようになったと。
Sさんは「指導者に対し素直でない」「言っても態度の変容がない」と言われることがあった。支援室に居る時の彼女からは想像できない批判だった。
彼女の心の中にある何かは、
生きる上で、譲ることができないもの、触れてほしくないものだったのかもしれない。
子供でも大人でも、その人が黙ってしまった時は、何か理由がある。
その理由が本人にわかってない時もあって、人が人とかかわりあうことはむつかしい。
彼女の生きづらさの原因が少しわかった気がする。
人には心があり、人格がある。
彼女が、なじめなかったのは「折り合いをつけれない」彼女を、私達が理解できなかったからではないか、考えさせられる言葉だった。

平成24年1月30日  古賀 八重子

2012年1月23日月曜日

看護支援相談室だより No.35

新しい年が始まりました。
1月14日に関東ブロックの研究発表会があり、その講評を頼まれていたので、お正月も課題を抱えてすごしました。やっと落ち着いたところです。

今年は、新年早々嬉しいことがありました。
Sさんから年賀状が届いたのです。
私が3年前に1年間だけこの病院に勤めた時、休職していたSさんが、10ヶ月ぶりに職場復帰するまで、支援室で3ヶ月、共に暮らし?ました。Sさんとの関わりが、最初の仕事でした。新人の心が折れていく状況を悲しく思いましたが、立ち直っていく姿をみて、安心しました。
しかし、私が退職した後しばらくして、Sさんも退職した事を知りました。何回か電話をしたのですが、返信がなく、私はそれをSさんの意思と思って連絡をやめました。
3年ぶりに来た年賀状には、転職を2回して、今は入浴サービスの仕事をしていると書いてありました。「自分が看護師でいいのかわからない。看護の喜び等感じられない」と悩んでいたのに、やっぱり看護師として働いていてくれたのです。そして、「今、初めて自分が必要とされている居場所を見つけた」と言うのです。
すぐに、電話をして、逢いました。

そして、今の自分があるのは、支援室のおかげだと言ってくれました。
あの3ヶ月間は本当に楽しかったと。
4月中旬、寮にSさんを迎えに行ってから約3ヶ月、支援室で過ごした時間は、私にとっても、楽しくし幸せな日々でした。学校に勤務していた時、こんなに自由に、ゆっくりと学生に関われたことはありませんでした。私は、何の指示もださなかったし、Sさんも、病院に来れなくなった理由など、なにも話しませんでした。ただ、11時頃の出勤が、少しずつ早くなっていく変化を喜んで待っていました。

Sさんとの関わりのことでは、書きたいことが一杯あります。今回逢った時、書いてもいいと言ってくれたので、思い出しながら書かせてもらおうと思います。
私に、いろんな事を教えてくれた若い友人のことを、伝えたいのです。

平成24年1月23日   古賀 八重子