「生きている意味がわからない」と彼女は言う。
皆は、「生きている意味がわかっている人なんてそんなに居ない」と慰めてくれる。
「でも、そんな言葉は、自分にとって何の意味もない。皆は笑って生きている。私は笑うことができなくて、苦しんでいる」と。
メンタルクリニックの先生の言葉も薬も、今の彼女を救うことはできないでいる。
私にも、「どうしてそんなに元気で、働きつづけていれるのか?」と聞く。
「私も、二度と心の底から笑うことは無いだろう、と思ったことがあること」、「自分にとって働く意味・仲間との出会い」など話したいことはあるが、今の彼女に、わかってもらえる自信がない。
先日の新聞に、五木寛之氏の「自分の生きていくことに、価値を求めるな、ただ、生きているだけで価値がある」という言葉が載っていた。
「生きていてくれるだけでいい」という言葉に繋がる思い出がある。
もう20年以上前の学生の言葉だ。
父親が自殺を試み、両手を失くして施設に入所していた。
彼女の肩に母親や妹だちの生活がかかっており、経済的負担と、父親の最後の電話を受けながら救えなかった自分を責める気持ちで、苦しんでいた。でも、車の免許をとり、父親をドライブに連れて行ったりして、できることを精一杯やっていた。しかし、彼女が看護学校3年生の時、父親が再度自殺をしてしまった。施設の仲間に手伝ってもらっての自死だった。
お葬式の時の「生きていてくれるだけで、良かったのに」という言葉が忘れられない。
新人看護師の頃、下肢切断の患者さんや、ストーマの患者さんを見て、「生きているほうが辛い」と思う自分があった。しかし、子供ができてからは、「どんな事があっても、生きていたい」と思うようになった。
子供が成長してからは、仕事が生き甲斐になってくれた。
「生きている意味」は、人との関わりの中で教えてもらった気がする。
彼女にはまず自分の存在の意味・大切さに気づいてほしい。
そして、笑ってくれる日がくることを信じたい。
平成23年11月14日 古賀 八重子