他病院を4ヶ月で離職した新人が入職してくれた。
7:1の病院からスタートした新人を、当院で育てられるか、不安も大きい。しかし、看護師を辞めようとしなかったことは嬉しい。志半ばでの退職の辛さは良く分かるので、何とか看護の喜びを感じられる仕事ができるよう、全力でサポートしたい。
私も病院を辞める時、挫折感を味わった。私の卒業した時代は、2・8闘争の全盛期で、看護師はいい仕事をすることと、健康を守り人間的な生活をするために、様々な形で、自己主張していた。地元の公立病院に帰ってからも、自然に組合運動に入っていった。子供を抱えながら働く、素晴らしい先輩たちとも出会い、目標となる看護師像を見せてもらった。今でも付き合っている尊敬する仲間達だ。
しかし、卒業して4年ほどした時、准看護師の、給料の矛盾を交渉する席で、私は、仲間が信じられなくなった。当時の准看護師の人たちは、「ミネワタリ」という等級の昇給ができず、一定の年齢になると給料がストップしていた。その是正を交渉するために、代表の10名ほどで、病院の管理職と交渉した。
院長は「病院に不満がある人は、辞めればいい」と興奮し、発言した人の所属と名前を言わせるなど個人攻撃をした。結局、最後まで発言したのは、私だけになり、「お前のような看護師はいらない、辞めろ」と院長も事務長も席を立ってしまった。
その後、皆が私の席に駆け寄って「ひどいこと言われて辛かったでしょう」と慰めてくれた。しかし、私の涙は、院長の言葉のためではなかった。小さい時から厳しい父に向かっていたので、大きい声を出されても、ひるまなかった。ただ、誰ひとり、「これは160人の看護師の相違です。個人攻撃をしないでください」と言ってくれなかったことに、私は深く傷ついた。「この人達のために、もう頑張れない」と思い、やりたい事もあった為、退職を決めた。
後になって、私が辞めた理由が自分達の態度にあったと知って、後輩たちが苦しんでいると聞いた。辛かったのは、私だけではなかった。
離職して来た新人にも、心配してくれた同級生や同期の仲間が居ただろう。
退職者を見送る人の辛さもあることに気づいて欲しい。
私は、退職した事は後悔していない。おかげで、看護教育の道に進み、充実した職業生活を送ることができた。入職した新人にも、自分が選んだ道を、主体的に歩いて行って欲しいと願っている。
9月2日 古賀 八重子