2011年6月22日水曜日

看護支援相談室便り No.15

短大の実習が終わりました。

今回は、2日だけの見学実習だったので、病院の環境に素直に感動してくれ、目標達成もできました。いい実習ができたと思います。

このように、いい実習ができたと思うことはよくある。
しかし、自分がいい指導ができたと思う事は滅多にない。
講義は、教員の力量が即評価されるが、実習は、受け持ち患者や病棟の指導体制など
色々な条件があって、自分の指導の結果と思えることは少ない。

一度だけそう思ったことがある。私が教えたいと思っていたことによく気づいてくれ、1年生としては「言うことはない」ような実習をしてくれた。
病棟の反省会で看護師長もほめてくれ、学校での全体反省会が楽しみだった。
実習は教員一人の指導ではないが、一つの条件として評価材料になる。他のグループの学びの深さに反省させられることは常時ある。

学生は、「看護」「人間」「健康」について深く理解し、「その人らしく生きる意味」にまで言及した発表をした。いい学びをした実習だったと、私は嬉しかった。
しかし、発表が終わった後、気づいたことがある。レポートの中にも、発表の中にも私の名前は出てこなかった。学生が気づいたことの大半は、自分が言った言葉だと思っていた。
いつも謝辞など気にもとめなかった。形式だし、学生のリップサービスだとわかっていたからだ。
この時は「指導しきった」思いがあった。患者に恵まれ、学生に恵まれていたが、私も、彼女たちの学びに加わっていたという自負があった。
でも、本当の学びは、誰かに教えられた言葉ではなく、自分の言葉として語れるレベルではないのか。
学生たちは、本当に自分たちの力で、わかったのだ。
「教えること」「学ぶこと」の深さを知った。

あの日から、学生の「古賀先生に教えていただいた」等という言葉を聞くと、恥ずかしくなった。

6月22日  古賀 八重子