真炎天原子炉に火も苦しむか
正木 ゆう子
日本が悲しみに沈んだ23年が終わります。
4月から9ヶ月、御世話になりました。
まだ、いろいろなことが進行中です。
看護学校受験者は、これからが本番です。
(今日、エイドのAさんが、看護学校に合格しました。10倍の倍率を見事突破したのです。)
11月に退職した新人のことも気がかりです。
でも、明るいニュースもあります。
今年は全病棟で看護研究にとりくみ、看護を語る時間がとれました。
NPや応援の人に助けられている状況ですが、少しずつチームができてきています。
支援室の図書も増えました。学習室もできました。
フィジカルアセスメントを学習する人形の予算もつきました。
私も、ここで頑張れそうな気持ちをもつことができました。
たくさんの人のおかげです。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
平成23年12月27日 古賀 八重子
2011年12月28日水曜日
2011年12月14日水曜日
看護支援相談室だより No.33
優しくされても辛い時があります。
5,6,7日と看護協会の糖尿病研修「フットケア」の担当委員として、研修の運営をサポートした。
専門看護師や認定看護師さん達の知識と技術のすごさに感動し、フットケアの奥の深さに魅せられた。私も道具をそろえて勉強しようとパンフレットを貰ってきた。
看護が、診療報酬加算に認められたことは大きな進歩であり、研修生はみんな意欲的に参加していた。充実した3日間だった。
ただ、私は年を感じさせられることが重なって、少し陥込んだ。
受付で、名簿のチェックをしている時、すぐに見つからず隣の担当委員から、「ここだと思いますよ」とさりげなく言われた。講義記録や質疑応答をパソコンに打ち込んでいくのが間に合わず、メモ用紙に書いていたら、「私がやりますよ」と言ってくれた。
照明の調整も遅れてしまい、結局助けてもらった。
要するに、スピードについていけなくなっているのだ。
仕事が速いと言われて、いい気になっていた頃は、追い上げるように仕事をしていた。
患者さんたちは、よく、「こんなことまでしてもらってすいません」と言っていた。
人に世話される居心地の悪さ、切なさに気づく余裕はなかった。
「ありがとう」と言ってくれる言葉に、素直に喜んでいた。
「若い時がよかった」という気持ちはなく、今が一番と思って暮らしているが、失っていくものを受け入れていくプロセスは、時に試練を感じさせる。
凡人は、悩みつつ成長していくしかない。
以前出会った、Kさんという全介助の患者さんのように「私が、生きていることが、学生さんの役にたっているのなら、生きていてもいいですよね」と笑って言えるような人になれるだろうか。
平成23年12月12日 古賀 八重子
5,6,7日と看護協会の糖尿病研修「フットケア」の担当委員として、研修の運営をサポートした。
専門看護師や認定看護師さん達の知識と技術のすごさに感動し、フットケアの奥の深さに魅せられた。私も道具をそろえて勉強しようとパンフレットを貰ってきた。
看護が、診療報酬加算に認められたことは大きな進歩であり、研修生はみんな意欲的に参加していた。充実した3日間だった。
ただ、私は年を感じさせられることが重なって、少し陥込んだ。
受付で、名簿のチェックをしている時、すぐに見つからず隣の担当委員から、「ここだと思いますよ」とさりげなく言われた。講義記録や質疑応答をパソコンに打ち込んでいくのが間に合わず、メモ用紙に書いていたら、「私がやりますよ」と言ってくれた。
照明の調整も遅れてしまい、結局助けてもらった。
要するに、スピードについていけなくなっているのだ。
仕事が速いと言われて、いい気になっていた頃は、追い上げるように仕事をしていた。
患者さんたちは、よく、「こんなことまでしてもらってすいません」と言っていた。
人に世話される居心地の悪さ、切なさに気づく余裕はなかった。
「ありがとう」と言ってくれる言葉に、素直に喜んでいた。
「若い時がよかった」という気持ちはなく、今が一番と思って暮らしているが、失っていくものを受け入れていくプロセスは、時に試練を感じさせる。
凡人は、悩みつつ成長していくしかない。
以前出会った、Kさんという全介助の患者さんのように「私が、生きていることが、学生さんの役にたっているのなら、生きていてもいいですよね」と笑って言えるような人になれるだろうか。
平成23年12月12日 古賀 八重子
2011年11月26日土曜日
看護支援相談室だより No.32
京都に行ってきました。
久しぶりに休暇をとって、秋の京都に行ってきました。
浄瑠璃寺に行きたいと思ったからです。
雑誌で読んだ「京都で一番いい空気をもった寺」という言葉に惹かれました。
1178年に、浄土庭園として造られた庭が、今もそのまま残っている、静かなお寺でした。
池にはススキが生い茂り、千両・万両の紅い実が映え、萩の散った根元に、野菊(古代菊)がひっそりと咲いていました。
手入れをしていないように見える手入れが、丁寧にされているように感じました。
澄みきった静寂と清浄の浄瑠璃世界がありました。
自分が育った田舎の原風景と同じです。
亡くなった夫は、京都が好きで、桜と紅葉の季節は、2時間待ちでも行列して、見にいっていました。私は静かに見るのが好きで、名も無い山の桜や紅葉を見に出かけていました。
今回、大覚寺と平等院の紅葉も見てきました。
完璧というような造形美もまたいいものだと気が付きました。
もう一つの目的だった清水焼の徳利を買ったので、熱燗で飲む冬が楽しみです。
平成23年11月25日 古賀 八重子
久しぶりに休暇をとって、秋の京都に行ってきました。
浄瑠璃寺に行きたいと思ったからです。
雑誌で読んだ「京都で一番いい空気をもった寺」という言葉に惹かれました。
1178年に、浄土庭園として造られた庭が、今もそのまま残っている、静かなお寺でした。
池にはススキが生い茂り、千両・万両の紅い実が映え、萩の散った根元に、野菊(古代菊)がひっそりと咲いていました。
手入れをしていないように見える手入れが、丁寧にされているように感じました。
澄みきった静寂と清浄の浄瑠璃世界がありました。
自分が育った田舎の原風景と同じです。
亡くなった夫は、京都が好きで、桜と紅葉の季節は、2時間待ちでも行列して、見にいっていました。私は静かに見るのが好きで、名も無い山の桜や紅葉を見に出かけていました。
今回、大覚寺と平等院の紅葉も見てきました。
完璧というような造形美もまたいいものだと気が付きました。
もう一つの目的だった清水焼の徳利を買ったので、熱燗で飲む冬が楽しみです。
平成23年11月25日 古賀 八重子
2011年11月14日月曜日
看護支援相談室だより No.31
「生きている意味がわからない」と彼女は言う。
皆は、「生きている意味がわかっている人なんてそんなに居ない」と慰めてくれる。
「でも、そんな言葉は、自分にとって何の意味もない。皆は笑って生きている。私は笑うことができなくて、苦しんでいる」と。
メンタルクリニックの先生の言葉も薬も、今の彼女を救うことはできないでいる。
私にも、「どうしてそんなに元気で、働きつづけていれるのか?」と聞く。
「私も、二度と心の底から笑うことは無いだろう、と思ったことがあること」、「自分にとって働く意味・仲間との出会い」など話したいことはあるが、今の彼女に、わかってもらえる自信がない。
先日の新聞に、五木寛之氏の「自分の生きていくことに、価値を求めるな、ただ、生きているだけで価値がある」という言葉が載っていた。
「生きていてくれるだけでいい」という言葉に繋がる思い出がある。
もう20年以上前の学生の言葉だ。
父親が自殺を試み、両手を失くして施設に入所していた。
彼女の肩に母親や妹だちの生活がかかっており、経済的負担と、父親の最後の電話を受けながら救えなかった自分を責める気持ちで、苦しんでいた。でも、車の免許をとり、父親をドライブに連れて行ったりして、できることを精一杯やっていた。しかし、彼女が看護学校3年生の時、父親が再度自殺をしてしまった。施設の仲間に手伝ってもらっての自死だった。
お葬式の時の「生きていてくれるだけで、良かったのに」という言葉が忘れられない。
新人看護師の頃、下肢切断の患者さんや、ストーマの患者さんを見て、「生きているほうが辛い」と思う自分があった。しかし、子供ができてからは、「どんな事があっても、生きていたい」と思うようになった。
子供が成長してからは、仕事が生き甲斐になってくれた。
「生きている意味」は、人との関わりの中で教えてもらった気がする。
彼女にはまず自分の存在の意味・大切さに気づいてほしい。
そして、笑ってくれる日がくることを信じたい。
平成23年11月14日 古賀 八重子
皆は、「生きている意味がわかっている人なんてそんなに居ない」と慰めてくれる。
「でも、そんな言葉は、自分にとって何の意味もない。皆は笑って生きている。私は笑うことができなくて、苦しんでいる」と。
メンタルクリニックの先生の言葉も薬も、今の彼女を救うことはできないでいる。
私にも、「どうしてそんなに元気で、働きつづけていれるのか?」と聞く。
「私も、二度と心の底から笑うことは無いだろう、と思ったことがあること」、「自分にとって働く意味・仲間との出会い」など話したいことはあるが、今の彼女に、わかってもらえる自信がない。
先日の新聞に、五木寛之氏の「自分の生きていくことに、価値を求めるな、ただ、生きているだけで価値がある」という言葉が載っていた。
「生きていてくれるだけでいい」という言葉に繋がる思い出がある。
もう20年以上前の学生の言葉だ。
父親が自殺を試み、両手を失くして施設に入所していた。
彼女の肩に母親や妹だちの生活がかかっており、経済的負担と、父親の最後の電話を受けながら救えなかった自分を責める気持ちで、苦しんでいた。でも、車の免許をとり、父親をドライブに連れて行ったりして、できることを精一杯やっていた。しかし、彼女が看護学校3年生の時、父親が再度自殺をしてしまった。施設の仲間に手伝ってもらっての自死だった。
お葬式の時の「生きていてくれるだけで、良かったのに」という言葉が忘れられない。
新人看護師の頃、下肢切断の患者さんや、ストーマの患者さんを見て、「生きているほうが辛い」と思う自分があった。しかし、子供ができてからは、「どんな事があっても、生きていたい」と思うようになった。
子供が成長してからは、仕事が生き甲斐になってくれた。
「生きている意味」は、人との関わりの中で教えてもらった気がする。
彼女にはまず自分の存在の意味・大切さに気づいてほしい。
そして、笑ってくれる日がくることを信じたい。
平成23年11月14日 古賀 八重子
2011年11月7日月曜日
看護支援相談室だより No.30
学習室ができました。
看護支援相談室に、図書室、実習室に続いて、学習室ができたのです。
私が休みの日や夜間でも、事務室で鍵を借りれば、自由に使用できます。
とにかく嬉しいです。
仕事が終わった後、皆で集まって勉強し合える場所、議論したり、おしゃべりして、元気をもらえる部屋、時には一人で本が読める部屋。
前任のH校では、学生が命名したリバイブルーム(よみがえる部屋)がありました。実習で疲れた学生が戻ってきて、コーヒーを飲んだりして、ほっとする場所と共に、夜間も8時までは使えたので、実習のまとめや、国家試験の勉強に使っていました。
正直言って、徳洲会は患者さんを大切にしていますが、職員を大切にしていないと感じることがあります。でも、こういう提案がすんなり通る自由さは魅力です。
職員が大切にされている、必要とされていると思える病院には、未来があります。
「ここに居てもいいよ、居てくれてありがとう」という雰囲気の中で、患者さんもまた癒されていくのだと思います。
現場では、患者さん第1で頑張ってくれている看護師さん(もちろん他の職員の方たちも同じです)にとって、看護支援室は、看護師さん第1の場所でありたいと考えています。
リバイブルームとして、学習室が活用されることを願っています。
平成23年11月7日 古賀 八重子
看護支援相談室に、図書室、実習室に続いて、学習室ができたのです。
私が休みの日や夜間でも、事務室で鍵を借りれば、自由に使用できます。
とにかく嬉しいです。
仕事が終わった後、皆で集まって勉強し合える場所、議論したり、おしゃべりして、元気をもらえる部屋、時には一人で本が読める部屋。
前任のH校では、学生が命名したリバイブルーム(よみがえる部屋)がありました。実習で疲れた学生が戻ってきて、コーヒーを飲んだりして、ほっとする場所と共に、夜間も8時までは使えたので、実習のまとめや、国家試験の勉強に使っていました。
正直言って、徳洲会は患者さんを大切にしていますが、職員を大切にしていないと感じることがあります。でも、こういう提案がすんなり通る自由さは魅力です。
職員が大切にされている、必要とされていると思える病院には、未来があります。
「ここに居てもいいよ、居てくれてありがとう」という雰囲気の中で、患者さんもまた癒されていくのだと思います。
現場では、患者さん第1で頑張ってくれている看護師さん(もちろん他の職員の方たちも同じです)にとって、看護支援室は、看護師さん第1の場所でありたいと考えています。
リバイブルームとして、学習室が活用されることを願っています。
平成23年11月7日 古賀 八重子
2011年10月28日金曜日
看護支援相談室便り No.29
「私、やっぱり看護が好き」
急性期病棟から療養病棟に移って4日たった新人の言葉だ。休職明けから、療養病棟に行くと決めた日、「技術ができなくなる」と心配していた。
でも、療養病棟の患者さん達を見て、「この人達にも自分と同じ元気な時があったと思うと、言えない・動けない苦しみを、今の自分に置き換えて感じることができた。患者さんは言えない分、感受性の高い人たちだと思えた。自分がやられて嫌なこと、言われて嫌なことはしないようにしよう、そう思って、より丁寧に関わるようにした。すると、ツンツンしたり、反応が無かったり、いつも怒っている患者さんが、目で反応したり、うなずいてくれた、抵抗していたケアをやらせてくれるようになった。 人間って鏡だとつくづく思った」という。急性期病棟でも、もちろん患者さんの反応はあった。しかし、療養病棟で感じた達成感は、それとは比較にならない強烈なものだったと。
昨日は、「洗濯も入浴も食事するのもイヤ、生きている意味がわからない」と言っていた。
しかし、コミュニケーション能力の低下した人とコミュニケーションがとれた達成感は、看護の原点を思い出させてくれた。急性期病棟では、業務に追われ一杯一杯の毎日で、看護の喜びや、看護ってこうだと感じることがなかった。
「私のやりがいは、多分患者さんの反応だと思う」
「私、やっぱり看護が好きだとわかった」と伝えてくれた。
「人と比べないでいいよ、自分のペースで」と見守ってくれるチームの中で、少しずつ自分の言葉で看護が語れるようになった。
平成23年10月28日 古賀 八重子
急性期病棟から療養病棟に移って4日たった新人の言葉だ。休職明けから、療養病棟に行くと決めた日、「技術ができなくなる」と心配していた。
でも、療養病棟の患者さん達を見て、「この人達にも自分と同じ元気な時があったと思うと、言えない・動けない苦しみを、今の自分に置き換えて感じることができた。患者さんは言えない分、感受性の高い人たちだと思えた。自分がやられて嫌なこと、言われて嫌なことはしないようにしよう、そう思って、より丁寧に関わるようにした。すると、ツンツンしたり、反応が無かったり、いつも怒っている患者さんが、目で反応したり、うなずいてくれた、抵抗していたケアをやらせてくれるようになった。 人間って鏡だとつくづく思った」という。急性期病棟でも、もちろん患者さんの反応はあった。しかし、療養病棟で感じた達成感は、それとは比較にならない強烈なものだったと。
昨日は、「洗濯も入浴も食事するのもイヤ、生きている意味がわからない」と言っていた。
しかし、コミュニケーション能力の低下した人とコミュニケーションがとれた達成感は、看護の原点を思い出させてくれた。急性期病棟では、業務に追われ一杯一杯の毎日で、看護の喜びや、看護ってこうだと感じることがなかった。
「私のやりがいは、多分患者さんの反応だと思う」
「私、やっぱり看護が好きだとわかった」と伝えてくれた。
「人と比べないでいいよ、自分のペースで」と見守ってくれるチームの中で、少しずつ自分の言葉で看護が語れるようになった。
平成23年10月28日 古賀 八重子
2011年10月21日金曜日
看護支援相談室便り No.28
「良かった探し」
子供の頃に読んだ本に、両親もなく貧しい暮らしの少女が、寝る前、その日にあった(良かったこと)を思い出して、感謝して眠りにつくというお話があった。
自分の心が折れて、「いいことなど何もない」と思う時、思い出すことがある。
瀬戸内寂聴さんの講演を聴いた時、「嫌なことは忘れる、嬉しかったことは忘れないようにする」のが楽しく生きるコツだと言われた。
日記には、なるべく嬉しかったことを書くようにしている。
今月のある日、良かったことが一杯あった。
いつも初歩的なことで電話しているので、頼みにくかったKさんが、気持ちよくカルテを印刷してくれた。
就業規則を読めばわかるような有休や医療費のことを聞いたのに、すぐ調べて教えてくれたNさん、郵便を頼みに行ったら、すぐに、メール便で出しておきますと受け取ってくれたSさん、資材のSさんは、紛失した白衣を一緒に探してくれた、N看護師長は、仕事の電話の前に、「風邪はもういいんか」と気遣ってくれた。
看護部のSさんは、アンケート結果をグラフにすることを、快諾してくれた。
進学相談にきたMさんは、若い時の私のように、自分の人生を切り開いていくと言ってくれた、休職していた新人も、もう一度、新しい病棟で頑張ってみると言ってくれた。
若い時は、当たり前だとおもっていた日常の人間関係だ。
年を重ねるほどに、人の優しさがこころに沁みるようになった。
幸せな一日だった。
子供の頃に読んだ本に、両親もなく貧しい暮らしの少女が、寝る前、その日にあった(良かったこと)を思い出して、感謝して眠りにつくというお話があった。
自分の心が折れて、「いいことなど何もない」と思う時、思い出すことがある。
瀬戸内寂聴さんの講演を聴いた時、「嫌なことは忘れる、嬉しかったことは忘れないようにする」のが楽しく生きるコツだと言われた。
日記には、なるべく嬉しかったことを書くようにしている。
今月のある日、良かったことが一杯あった。
いつも初歩的なことで電話しているので、頼みにくかったKさんが、気持ちよくカルテを印刷してくれた。
就業規則を読めばわかるような有休や医療費のことを聞いたのに、すぐ調べて教えてくれたNさん、郵便を頼みに行ったら、すぐに、メール便で出しておきますと受け取ってくれたSさん、資材のSさんは、紛失した白衣を一緒に探してくれた、N看護師長は、仕事の電話の前に、「風邪はもういいんか」と気遣ってくれた。
看護部のSさんは、アンケート結果をグラフにすることを、快諾してくれた。
進学相談にきたMさんは、若い時の私のように、自分の人生を切り開いていくと言ってくれた、休職していた新人も、もう一度、新しい病棟で頑張ってみると言ってくれた。
若い時は、当たり前だとおもっていた日常の人間関係だ。
年を重ねるほどに、人の優しさがこころに沁みるようになった。
幸せな一日だった。
2011年10月11日火曜日
看護支援相談室便り No.27
「まだ仕事と人生、両立できないよ」
若い人は、時々面白い表現をする。その新鮮さに驚くことがある。
父親からの電話に、「そんなこと、わかっているけどできない」
「私は一生、今のままかもしれない」と言った後の言葉だった。
彼女が何で悩んでいるかは、個人情報だ。
ただ、私は、「今、辞めないでほしい」と言い続けている。
ずっと我慢して、いい子を演じてきた彼女が、少しずつ自由になって、わがままを言ったり、甘えたりできるようになっている。
もう少しで楽に生きられるようになると思う。
でも、ここ2ヶ月、私達は、同じことを言い合っていた。
私は、待つ苦しさに、少しイラついていた。
そんな時の彼女の言葉だった。
人生=仕事のように生きてきた私にとって、彼女の言葉は新鮮だった。
少しだけ、彼女の心の中が見えた気がした。
私と違う世界で、揺れているのだ。
霧深い山を登っていて、少し視界がひろがった時のような気分になった。
いや、本当は、彼女の気持ち、よくわからないけど、それでいいと思えた。
「みんなちがって、みんないい」のだと。
平成23年10月11日 古賀 八重子
若い人は、時々面白い表現をする。その新鮮さに驚くことがある。
父親からの電話に、「そんなこと、わかっているけどできない」
「私は一生、今のままかもしれない」と言った後の言葉だった。
彼女が何で悩んでいるかは、個人情報だ。
ただ、私は、「今、辞めないでほしい」と言い続けている。
ずっと我慢して、いい子を演じてきた彼女が、少しずつ自由になって、わがままを言ったり、甘えたりできるようになっている。
もう少しで楽に生きられるようになると思う。
でも、ここ2ヶ月、私達は、同じことを言い合っていた。
私は、待つ苦しさに、少しイラついていた。
そんな時の彼女の言葉だった。
人生=仕事のように生きてきた私にとって、彼女の言葉は新鮮だった。
少しだけ、彼女の心の中が見えた気がした。
私と違う世界で、揺れているのだ。
霧深い山を登っていて、少し視界がひろがった時のような気分になった。
いや、本当は、彼女の気持ち、よくわからないけど、それでいいと思えた。
「みんなちがって、みんないい」のだと。
平成23年10月11日 古賀 八重子
2011年10月3日月曜日
看護支援相談室便り No.26
「可能性を信じきること」
病棟配属になって3ヶ月、新人たちは、精一杯頑張っている。
図書室にも良く来るし、夜勤明けでも支援室によって12時近くまで、勉強していく。
病棟ラウンドをしていても、動きが自然になっている。
だから、6ヶ月研修のために取った、看護師長・プリセプターによる新人評価を見て驚いた。
ほとんど2(あまりできなかった)をつけて来た看護師長さんがいた。しかし、その新人をプリセプターは、「前向きで、良く頑張っている、じきに戦力になってくれると思います。」と評価している。
「看護援助の根拠」「業務優先順位・時間配分」「記録」など、まだ不十分な項目が多いことは理解できる。しかし、「守秘義務」「学習意欲」「清潔な身だしなみ」「倫理」「協調性」「健康管理」など、合格点だと思う項目も多い。
もう一人前の戦力として、夜勤にも入っている新人たちは、「事故を起こさないか」「患者の異常を見落とさないか」恐怖心を抱えて仕事をしている。
「あれもできない、これもできない」を100回言われても、できるようにはならない。「大丈夫、いい看護師になれるよ」と信じて、指導し続けてくれる環境の中で、自己効力感を持ち成長できるのだと思う。
9月30日 古賀 八重子
病棟配属になって3ヶ月、新人たちは、精一杯頑張っている。
図書室にも良く来るし、夜勤明けでも支援室によって12時近くまで、勉強していく。
病棟ラウンドをしていても、動きが自然になっている。
だから、6ヶ月研修のために取った、看護師長・プリセプターによる新人評価を見て驚いた。
ほとんど2(あまりできなかった)をつけて来た看護師長さんがいた。しかし、その新人をプリセプターは、「前向きで、良く頑張っている、じきに戦力になってくれると思います。」と評価している。
「看護援助の根拠」「業務優先順位・時間配分」「記録」など、まだ不十分な項目が多いことは理解できる。しかし、「守秘義務」「学習意欲」「清潔な身だしなみ」「倫理」「協調性」「健康管理」など、合格点だと思う項目も多い。
もう一人前の戦力として、夜勤にも入っている新人たちは、「事故を起こさないか」「患者の異常を見落とさないか」恐怖心を抱えて仕事をしている。
「あれもできない、これもできない」を100回言われても、できるようにはならない。「大丈夫、いい看護師になれるよ」と信じて、指導し続けてくれる環境の中で、自己効力感を持ち成長できるのだと思う。
9月30日 古賀 八重子
2011年9月15日木曜日
看護支援相談室便り No.25
12日、素晴らしい「仲秋の名月」だった。
仕事が遅くなり、9時頃自宅に着いた。
あまりにも美しい月だったので、自転車を止めてから、しばらく月に見とれていた。
今日は、2つの悲しい話を聞いた。
言葉が、どれほど人を傷つけるか、辞めたくなる理由が、忙しさだけではないことを改めて感じた。人を傷つけないでは居られないほど、寂しい人が多すぎる。
小さい時から、月を見るのが好きだった。
空想の世界で遊ぶのが好きだったので、もの悲しさを感じる月光は、嫌いではなかった。
月の光をあびながら、人間は独りだと思った。
子供心に感じた寂しさと同じものが、今も在る。
でも、そのおかげで、独りでないと思える事があった時、幸せを感じることができるように思う。
9月15日 古賀 八重子
仕事が遅くなり、9時頃自宅に着いた。
あまりにも美しい月だったので、自転車を止めてから、しばらく月に見とれていた。
今日は、2つの悲しい話を聞いた。
言葉が、どれほど人を傷つけるか、辞めたくなる理由が、忙しさだけではないことを改めて感じた。人を傷つけないでは居られないほど、寂しい人が多すぎる。
小さい時から、月を見るのが好きだった。
空想の世界で遊ぶのが好きだったので、もの悲しさを感じる月光は、嫌いではなかった。
月の光をあびながら、人間は独りだと思った。
子供心に感じた寂しさと同じものが、今も在る。
でも、そのおかげで、独りでないと思える事があった時、幸せを感じることができるように思う。
9月15日 古賀 八重子
2011年9月2日金曜日
看護支援相談室だよりNo.24
他病院を4ヶ月で離職した新人が入職してくれた。
7:1の病院からスタートした新人を、当院で育てられるか、不安も大きい。しかし、看護師を辞めようとしなかったことは嬉しい。志半ばでの退職の辛さは良く分かるので、何とか看護の喜びを感じられる仕事ができるよう、全力でサポートしたい。
私も病院を辞める時、挫折感を味わった。私の卒業した時代は、2・8闘争の全盛期で、看護師はいい仕事をすることと、健康を守り人間的な生活をするために、様々な形で、自己主張していた。地元の公立病院に帰ってからも、自然に組合運動に入っていった。子供を抱えながら働く、素晴らしい先輩たちとも出会い、目標となる看護師像を見せてもらった。今でも付き合っている尊敬する仲間達だ。
しかし、卒業して4年ほどした時、准看護師の、給料の矛盾を交渉する席で、私は、仲間が信じられなくなった。当時の准看護師の人たちは、「ミネワタリ」という等級の昇給ができず、一定の年齢になると給料がストップしていた。その是正を交渉するために、代表の10名ほどで、病院の管理職と交渉した。
院長は「病院に不満がある人は、辞めればいい」と興奮し、発言した人の所属と名前を言わせるなど個人攻撃をした。結局、最後まで発言したのは、私だけになり、「お前のような看護師はいらない、辞めろ」と院長も事務長も席を立ってしまった。
その後、皆が私の席に駆け寄って「ひどいこと言われて辛かったでしょう」と慰めてくれた。しかし、私の涙は、院長の言葉のためではなかった。小さい時から厳しい父に向かっていたので、大きい声を出されても、ひるまなかった。ただ、誰ひとり、「これは160人の看護師の相違です。個人攻撃をしないでください」と言ってくれなかったことに、私は深く傷ついた。「この人達のために、もう頑張れない」と思い、やりたい事もあった為、退職を決めた。
後になって、私が辞めた理由が自分達の態度にあったと知って、後輩たちが苦しんでいると聞いた。辛かったのは、私だけではなかった。
離職して来た新人にも、心配してくれた同級生や同期の仲間が居ただろう。
退職者を見送る人の辛さもあることに気づいて欲しい。
私は、退職した事は後悔していない。おかげで、看護教育の道に進み、充実した職業生活を送ることができた。入職した新人にも、自分が選んだ道を、主体的に歩いて行って欲しいと願っている。
9月2日 古賀 八重子
7:1の病院からスタートした新人を、当院で育てられるか、不安も大きい。しかし、看護師を辞めようとしなかったことは嬉しい。志半ばでの退職の辛さは良く分かるので、何とか看護の喜びを感じられる仕事ができるよう、全力でサポートしたい。
私も病院を辞める時、挫折感を味わった。私の卒業した時代は、2・8闘争の全盛期で、看護師はいい仕事をすることと、健康を守り人間的な生活をするために、様々な形で、自己主張していた。地元の公立病院に帰ってからも、自然に組合運動に入っていった。子供を抱えながら働く、素晴らしい先輩たちとも出会い、目標となる看護師像を見せてもらった。今でも付き合っている尊敬する仲間達だ。
しかし、卒業して4年ほどした時、准看護師の、給料の矛盾を交渉する席で、私は、仲間が信じられなくなった。当時の准看護師の人たちは、「ミネワタリ」という等級の昇給ができず、一定の年齢になると給料がストップしていた。その是正を交渉するために、代表の10名ほどで、病院の管理職と交渉した。
院長は「病院に不満がある人は、辞めればいい」と興奮し、発言した人の所属と名前を言わせるなど個人攻撃をした。結局、最後まで発言したのは、私だけになり、「お前のような看護師はいらない、辞めろ」と院長も事務長も席を立ってしまった。
その後、皆が私の席に駆け寄って「ひどいこと言われて辛かったでしょう」と慰めてくれた。しかし、私の涙は、院長の言葉のためではなかった。小さい時から厳しい父に向かっていたので、大きい声を出されても、ひるまなかった。ただ、誰ひとり、「これは160人の看護師の相違です。個人攻撃をしないでください」と言ってくれなかったことに、私は深く傷ついた。「この人達のために、もう頑張れない」と思い、やりたい事もあった為、退職を決めた。
後になって、私が辞めた理由が自分達の態度にあったと知って、後輩たちが苦しんでいると聞いた。辛かったのは、私だけではなかった。
離職して来た新人にも、心配してくれた同級生や同期の仲間が居ただろう。
退職者を見送る人の辛さもあることに気づいて欲しい。
私は、退職した事は後悔していない。おかげで、看護教育の道に進み、充実した職業生活を送ることができた。入職した新人にも、自分が選んだ道を、主体的に歩いて行って欲しいと願っている。
9月2日 古賀 八重子
2011年8月23日火曜日
看護支援相談室便り No.23
看護師の適性について考えさせられた。
ある看護学生が、教員から「適性がないので、看護師になるのを辞めたらどうか」と言われたという。
確かに、看護学生を募集する時、「責任感のある人」「コミュニケーションがとれること」など望ましい資質について説明する。入学試験でも、殆どの学校で面接試験を行い、人物もみて選考している。
ナイチンゲールは、看護婦に最も必要な能力の一つに「自分自身はけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力」をあげて、人の苦痛に共感できない人が看護婦をする怖さを述べている。医療や教育のような仕事で、ミスマッチな職業選択がされると、双方に悲劇が起こる。
だからと言って、入学させた学生に、「適性が無い」と宣言することには、抵抗がある。
大正9年に聖路加高等看護婦学校が開設された時も、半年間の試用期間というものがあり、授業態度や姿勢、ナースとしての可能性を見極め、可能性無しと判断された人は載帽式前に辞めさせられたという歴史がある。私の学生時代にも、試用期間があり、1名、夏休みが終わった時点で、来なくなった学生がいた。無口で、少し暗い感じはしたが、やさしい学生だったので、誰が、何の基準で適性が無いと判断するのか、疑問に思った。
以後、私は、適性という言葉を安易に使わないようにしてきた。
「適性が無い」と言うことは、「私には、貴方を教育する力がない」と認めることだと思っている。
色々な人が看護師になる時代だ。「適性」と言うより、人相手の仕事をするうえでのルールについては、教えないと分からないことも多い。
私は、看護師に必要な態度をきちんと表現して、学生・新人看護師に示し、努力させたいと考えている。
患者の言葉に耳を傾け、その言葉の意味をくみ取ることができる。
頼まれたことは責任を持って行い、できない時は理由を伝えることができる。
相手の生活信条、信念、価値観を尊重した態度がとれる。
患者の秘密・プライバシーを守ることができる。等
「適性がない」と言うほど大切にしている「適性」とは何か、
大切だからこそ、わからないでいる学生には、分かるように伝えるべきと考える。
8月23日 古賀 八重子
ある看護学生が、教員から「適性がないので、看護師になるのを辞めたらどうか」と言われたという。
確かに、看護学生を募集する時、「責任感のある人」「コミュニケーションがとれること」など望ましい資質について説明する。入学試験でも、殆どの学校で面接試験を行い、人物もみて選考している。
ナイチンゲールは、看護婦に最も必要な能力の一つに「自分自身はけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力」をあげて、人の苦痛に共感できない人が看護婦をする怖さを述べている。医療や教育のような仕事で、ミスマッチな職業選択がされると、双方に悲劇が起こる。
だからと言って、入学させた学生に、「適性が無い」と宣言することには、抵抗がある。
大正9年に聖路加高等看護婦学校が開設された時も、半年間の試用期間というものがあり、授業態度や姿勢、ナースとしての可能性を見極め、可能性無しと判断された人は載帽式前に辞めさせられたという歴史がある。私の学生時代にも、試用期間があり、1名、夏休みが終わった時点で、来なくなった学生がいた。無口で、少し暗い感じはしたが、やさしい学生だったので、誰が、何の基準で適性が無いと判断するのか、疑問に思った。
以後、私は、適性という言葉を安易に使わないようにしてきた。
「適性が無い」と言うことは、「私には、貴方を教育する力がない」と認めることだと思っている。
色々な人が看護師になる時代だ。「適性」と言うより、人相手の仕事をするうえでのルールについては、教えないと分からないことも多い。
私は、看護師に必要な態度をきちんと表現して、学生・新人看護師に示し、努力させたいと考えている。
患者の言葉に耳を傾け、その言葉の意味をくみ取ることができる。
頼まれたことは責任を持って行い、できない時は理由を伝えることができる。
相手の生活信条、信念、価値観を尊重した態度がとれる。
患者の秘密・プライバシーを守ることができる。等
「適性がない」と言うほど大切にしている「適性」とは何か、
大切だからこそ、わからないでいる学生には、分かるように伝えるべきと考える。
8月23日 古賀 八重子
2011年8月11日木曜日
看護支援相談室便り No.22
支援室の前の掲示板にマザー・テレサの言葉を書いた色紙を掲示した。
学会のポスターがはがされた後、何も貼られていなかったので、ちょっと拝借して遊んでみた。
書いてくれたのは、前任校のO君だ。
几帳面なきれいな字で
「やさしい言葉は
たとえ簡単な言葉でも
ずっとずっと
心にこだまする」
と書いてある。
読むたびに、寡黙なO君の姿が浮かぶ。
患者さんに喜ばれるいい看護をしても、実習記録には、実践した事実が数行書いてあるだけだった。私が、90点以上と評価した時も、自己採点を70点と付けて来た。
自分に厳しく、いつも出来ない事の方を数えていた。
3年生になって、自信がついただろうか?
学校を離れてから、こんな風に学生のことを思い出す。
実習を2つ落として留年(卒業延期)が決まった学生のことを聞いた。
誤解されることもあったが、本当は先生で優しい学生だった。
休学になりそうな友達を心配して、泣いていたこともあった。
今、どんな思いでいるかと思うと、心が痛む。
連絡をとりたいと思いと、子供を置いて出てきた母親のような負い目があって、
「今の自分に、何ができるか」考えると、素直に素直に手紙が書けない。
でも、今までも、これからも、私はあの学生たちのそばに居る。
8月11日 古賀 八重子
学会のポスターがはがされた後、何も貼られていなかったので、ちょっと拝借して遊んでみた。
書いてくれたのは、前任校のO君だ。
几帳面なきれいな字で
「やさしい言葉は
たとえ簡単な言葉でも
ずっとずっと
心にこだまする」
と書いてある。
読むたびに、寡黙なO君の姿が浮かぶ。
患者さんに喜ばれるいい看護をしても、実習記録には、実践した事実が数行書いてあるだけだった。私が、90点以上と評価した時も、自己採点を70点と付けて来た。
自分に厳しく、いつも出来ない事の方を数えていた。
3年生になって、自信がついただろうか?
学校を離れてから、こんな風に学生のことを思い出す。
実習を2つ落として留年(卒業延期)が決まった学生のことを聞いた。
誤解されることもあったが、本当は先生で優しい学生だった。
休学になりそうな友達を心配して、泣いていたこともあった。
今、どんな思いでいるかと思うと、心が痛む。
連絡をとりたいと思いと、子供を置いて出てきた母親のような負い目があって、
「今の自分に、何ができるか」考えると、素直に素直に手紙が書けない。
でも、今までも、これからも、私はあの学生たちのそばに居る。
8月11日 古賀 八重子
2011年8月4日木曜日
看護支援相談室便り No.21
近よりて
つくづく見れば
汚(し)みのなき花などあらず
むしろ気味よき 大塚陽子
夏のガーデニングは虫との闘いです。
朝夕見ていても、すこし油断すると、見る影も無く虫に食べられて、ひどい時には枯れてしまいます。今、私を悩ませているのは、コガネムシです。
数年前、大好きな白の侘助や、春一番というツツジに百匹以上のコガネムシがついて丸坊主になり、翌年ツツジは枯れてしまいました。
しかし、2年前から植えたサンパチェンスの花にコガネムシがつくようになり、他の花や樹木は助かっています。
サンパチェンスはたくさんの花を咲かせるので、少し位食べられても(この頃は半分くらい食べられているが)、遠くから見ればきれいな花だと見えます。
自然の中で、花を育ててみると、完全な形の花がいかに少ないか、気づかされます。
でも、どの花もきれいです。
8月5日 古賀 八重子
つくづく見れば
汚(し)みのなき花などあらず
むしろ気味よき 大塚陽子
夏のガーデニングは虫との闘いです。
朝夕見ていても、すこし油断すると、見る影も無く虫に食べられて、ひどい時には枯れてしまいます。今、私を悩ませているのは、コガネムシです。
数年前、大好きな白の侘助や、春一番というツツジに百匹以上のコガネムシがついて丸坊主になり、翌年ツツジは枯れてしまいました。
しかし、2年前から植えたサンパチェンスの花にコガネムシがつくようになり、他の花や樹木は助かっています。
サンパチェンスはたくさんの花を咲かせるので、少し位食べられても(この頃は半分くらい食べられているが)、遠くから見ればきれいな花だと見えます。
自然の中で、花を育ててみると、完全な形の花がいかに少ないか、気づかされます。
でも、どの花もきれいです。
8月5日 古賀 八重子
2011年8月1日月曜日
看護支援相談室便り No.20
「看護がこんなに楽しいものだったなんて!」
教員研修の看護実習生のKさんが、満面の笑みで飛び込んできた。
「久しぶりに患者さんと、ゆっくり話ができて嬉しかったです。施設からの入院で、面会もなく傾眠状態の患者さんが、昔の話しをする中で、中学校の校歌を歌ってくれたんですよ。上手くしゃべれなくて、殆ど口をきいていなかった患者さんも、ゆっくり話すことで反応を示し、コミュニケーションがとれたんです。」
80代後半の寝たきりの患者さん達も、人と話すことで、脳も聴力も活性化し、いきいきした表情になった。頻回に鳴らしていたナースコールも減少したと言う。
毎日、時計だけを見て暮らしているという患者さん、後は地獄へ行くだけだと言っている患者さん。
でも、皆、話がしたい、聞いてほしいと思っている。
「こんな風に患者さんとゆっくり話しをする、ボランティアをしたいと思った。看護師としての視点を持ちながら、本を読んだり話をしたりして、刺激になるような関わりができたらいいですね。」
もちろん、これは看護そのもだ。
しかし、今の臨床では、むつかしいことだ。
グループホームに居る母も、3ヶ月で無表情に変ってしまった。
私も、そんなボランティアを最後に役割にしようかな、と相槌を打ってしまった。
7月28日 古賀 八重子
教員研修の看護実習生のKさんが、満面の笑みで飛び込んできた。
「久しぶりに患者さんと、ゆっくり話ができて嬉しかったです。施設からの入院で、面会もなく傾眠状態の患者さんが、昔の話しをする中で、中学校の校歌を歌ってくれたんですよ。上手くしゃべれなくて、殆ど口をきいていなかった患者さんも、ゆっくり話すことで反応を示し、コミュニケーションがとれたんです。」
80代後半の寝たきりの患者さん達も、人と話すことで、脳も聴力も活性化し、いきいきした表情になった。頻回に鳴らしていたナースコールも減少したと言う。
毎日、時計だけを見て暮らしているという患者さん、後は地獄へ行くだけだと言っている患者さん。
でも、皆、話がしたい、聞いてほしいと思っている。
「こんな風に患者さんとゆっくり話しをする、ボランティアをしたいと思った。看護師としての視点を持ちながら、本を読んだり話をしたりして、刺激になるような関わりができたらいいですね。」
もちろん、これは看護そのもだ。
しかし、今の臨床では、むつかしいことだ。
グループホームに居る母も、3ヶ月で無表情に変ってしまった。
私も、そんなボランティアを最後に役割にしようかな、と相槌を打ってしまった。
7月28日 古賀 八重子
2011年7月22日金曜日
看護支援相談室便り No.19
「乳搾るナカレ、耕すナカレ、種蒔くナカレ、ふくしまの春かなし」
美原 凍子 朝日歌壇
日常とは、昨日の続きの今日があり、明日がある毎日の生活のことである。
震災から4ヶ月、被災地は今も厳しい非日常の中にある。
日常が失われた時、人は日常の大切さに気づく。
ナイチンゲールの時代から、看護は環境(生活)を整えることを大切にしてきた。
人は生きているかぎり、日常生活は続いていく。
形は変っても途切れることはない。
夫が勤めていた高校を、奨学生募集で訪問した。
亡くなってから6年たつ。
仕事が生きがいの人だった。
皆が無理だと言う不登校の生徒を、1年間、毎朝迎えに行って卒業させたこともあった。
父子家庭だから、公立大学に入学させなくてはと、自宅に連れて帰って指導し、夜中の12時にまた送っていった。
病気になっても、「進路は一生を左右することだから、手を抜かない」という信念は変らなかった。
部活も、柔道の楽しさを教えたいと、土日も休まなかった。
「 生涯ヒラ教員 」として、全力で生きた夫だった。
6年たった学校は、校舎も、生徒たちのざわめきも、以前のままの日常だった。
7月22日 古賀 八重子
美原 凍子 朝日歌壇
日常とは、昨日の続きの今日があり、明日がある毎日の生活のことである。
震災から4ヶ月、被災地は今も厳しい非日常の中にある。
日常が失われた時、人は日常の大切さに気づく。
ナイチンゲールの時代から、看護は環境(生活)を整えることを大切にしてきた。
人は生きているかぎり、日常生活は続いていく。
形は変っても途切れることはない。
夫が勤めていた高校を、奨学生募集で訪問した。
亡くなってから6年たつ。
仕事が生きがいの人だった。
皆が無理だと言う不登校の生徒を、1年間、毎朝迎えに行って卒業させたこともあった。
父子家庭だから、公立大学に入学させなくてはと、自宅に連れて帰って指導し、夜中の12時にまた送っていった。
病気になっても、「進路は一生を左右することだから、手を抜かない」という信念は変らなかった。
部活も、柔道の楽しさを教えたいと、土日も休まなかった。
「 生涯ヒラ教員 」として、全力で生きた夫だった。
6年たった学校は、校舎も、生徒たちのざわめきも、以前のままの日常だった。
7月22日 古賀 八重子
2011年7月15日金曜日
看護支援相談室便り No.18
32校、高校訪問しました。
奨学金と生活ローンの説明です。
看護学校教員として、学生募集に訪問した時に比べると「聞き置く」程度の対応や、忙しさを理由に会っていただけないこともあり、心が萎えました。
顧客のニーズに合致した商品?でなければ、見向きもされないことも知りました。
希望の看護学校・大学に入学させることを課題として取り組んでいる先生に、奨学金があれば経済的不安なく勉強できる、また経済的理由で進学をあきらめている生徒がいたら、ぜひ利用してほしいという依頼は、心動かすものにはなりませんでした。
私は育英会の奨学金で高校に行きました。市立病院の奨学金で、看護学校へ行きました。自分のお金で大学に行けるようになるまで、たくさんの人や組織に助けてもらいました。だから、奨学金に対しては思い入れが強くあります。今回も、病院のために頑張るというより、困っている生徒さんがいたら利用してほしい、という気持ちの方が強かったのです。
経済的理由で、夢をあきらめている人はいないのでしょうか。
徳洲会だけでなく、他病院、学生支援機構や看護協会、さまざまな制度があります。
社会人で転職を考えている人も、今が一番若いのです。
やはりチャレンジに必要な資金があることを伝えていきたい、と思います。
7月15日 古賀 八重子
奨学金と生活ローンの説明です。
看護学校教員として、学生募集に訪問した時に比べると「聞き置く」程度の対応や、忙しさを理由に会っていただけないこともあり、心が萎えました。
顧客のニーズに合致した商品?でなければ、見向きもされないことも知りました。
希望の看護学校・大学に入学させることを課題として取り組んでいる先生に、奨学金があれば経済的不安なく勉強できる、また経済的理由で進学をあきらめている生徒がいたら、ぜひ利用してほしいという依頼は、心動かすものにはなりませんでした。
私は育英会の奨学金で高校に行きました。市立病院の奨学金で、看護学校へ行きました。自分のお金で大学に行けるようになるまで、たくさんの人や組織に助けてもらいました。だから、奨学金に対しては思い入れが強くあります。今回も、病院のために頑張るというより、困っている生徒さんがいたら利用してほしい、という気持ちの方が強かったのです。
経済的理由で、夢をあきらめている人はいないのでしょうか。
徳洲会だけでなく、他病院、学生支援機構や看護協会、さまざまな制度があります。
社会人で転職を考えている人も、今が一番若いのです。
やはりチャレンジに必要な資金があることを伝えていきたい、と思います。
7月15日 古賀 八重子
2011年7月11日月曜日
看護支援相談室便り No.17
お盆が近づいてきました。
亡くなった人を迎える月です。(旧盆で育ったのですが、今は新盆の地域です。)
いつまでたっても、亡くなった人のことを忘れることはない、むしろ亡くなってから父や夫のことを考える時間が多くなった気がします。
夫の闘病最後の1年、危篤の日を除いて、私のとった有休は1日だけでした。
行革の嵐の中、管理職として厳しい日々を送っていました。
一番大変な時は、父と夫が同じ病院に入院していて、仕事帰りにまず父の所に顔を出し、夫の所に行ってデパ地下で買った弁当を食べ、消灯近くに家に帰る生活でした。
「もう帰るのか」父はいつもそう言った。
しかし、「もう少し居てくれ」とは言わなかった。
夫の背中をマッサージしながら、明日の会議や仕事の段取りを考えていることも多かった。
亡くなってから、悔やんだのは、取り返せない時間のことだ。
なぜ、何もかも忘れて、、もっと話をしなかったのか、
あの時、大切だと思った仕事のことなど、ささいなことではなかったか、
そんな事で失う信頼など元々無かったものなのに。
父も夫も、「私に居て欲しかったのだ」きちんと、心を向けて、居て欲しかったのだ。
彼らにとっても、私は「かけがえのない人」だった。
私は、失ってから「かけがえのない人」との「かけがえのない時間」に気づいた。
お盆は、亡くなった人と、きちんと向き合う機会だと思う。
7月8日 古賀 八重子
亡くなった人を迎える月です。(旧盆で育ったのですが、今は新盆の地域です。)
いつまでたっても、亡くなった人のことを忘れることはない、むしろ亡くなってから父や夫のことを考える時間が多くなった気がします。
夫の闘病最後の1年、危篤の日を除いて、私のとった有休は1日だけでした。
行革の嵐の中、管理職として厳しい日々を送っていました。
一番大変な時は、父と夫が同じ病院に入院していて、仕事帰りにまず父の所に顔を出し、夫の所に行ってデパ地下で買った弁当を食べ、消灯近くに家に帰る生活でした。
「もう帰るのか」父はいつもそう言った。
しかし、「もう少し居てくれ」とは言わなかった。
夫の背中をマッサージしながら、明日の会議や仕事の段取りを考えていることも多かった。
亡くなってから、悔やんだのは、取り返せない時間のことだ。
なぜ、何もかも忘れて、、もっと話をしなかったのか、
あの時、大切だと思った仕事のことなど、ささいなことではなかったか、
そんな事で失う信頼など元々無かったものなのに。
父も夫も、「私に居て欲しかったのだ」きちんと、心を向けて、居て欲しかったのだ。
彼らにとっても、私は「かけがえのない人」だった。
私は、失ってから「かけがえのない人」との「かけがえのない時間」に気づいた。
お盆は、亡くなった人と、きちんと向き合う機会だと思う。
7月8日 古賀 八重子
2011年7月2日土曜日
看護支援相談室便り No.16
新人の3ヶ月研修が終了し、配属病棟での勤務が始まりました。
ほっと一息ついています。
先日、1日かけて、振り返り研修を行いました。
研修中、困ったことは、自分たちの知識不足・経験不足・病院環境への順応の大変さ等と、病棟スタッフへの研修への理解不足・指導方法の不統一・ローテーション研修の緊張の連続などがあげられました。
嬉しかったことは、患者さんの言葉・看護師から褒められたこと・適切な指導・自分の技術の進歩・ローテーションでの病棟の理解が深まったこと等でした。
新人の洞察力に感心したのは、ローテーション研修を行った病棟の評価です。各病棟の長所・課題・を率直に把握していました。
統計処理をして、師長会議や教育委員会で報告し、今後の病棟運営に生かしてもらおうと考えています。
中西睦子先生が述べられている実習での学生は、「患者・家族、看護師や医師、他職種などの多数の人から、絶えず投げ返されてくる様々な変化球を素手で受け止めるだけで、心身は疲労し、持っている知識も使えず、思考力も一時停止の状況になってしまう」状況と言われるが、新人もまさにそのような経験をした3ヶ月であったと思います。身体がこわばるような、動悸が止まらないような「怖さ」を感じたという経験もありました。
しかし、新人たちは、個人的感情や批判はしませんでした。
業務に追われる日常の中での、やむをえない状況として理解を示していました。
そして、各自の目標を設定し、何時までに、何をどうするのか、具体的に考えました。
組織として、教育力をつけなければと思います。
7月1日 古賀 八重子
ほっと一息ついています。
先日、1日かけて、振り返り研修を行いました。
研修中、困ったことは、自分たちの知識不足・経験不足・病院環境への順応の大変さ等と、病棟スタッフへの研修への理解不足・指導方法の不統一・ローテーション研修の緊張の連続などがあげられました。
嬉しかったことは、患者さんの言葉・看護師から褒められたこと・適切な指導・自分の技術の進歩・ローテーションでの病棟の理解が深まったこと等でした。
新人の洞察力に感心したのは、ローテーション研修を行った病棟の評価です。各病棟の長所・課題・を率直に把握していました。
統計処理をして、師長会議や教育委員会で報告し、今後の病棟運営に生かしてもらおうと考えています。
中西睦子先生が述べられている実習での学生は、「患者・家族、看護師や医師、他職種などの多数の人から、絶えず投げ返されてくる様々な変化球を素手で受け止めるだけで、心身は疲労し、持っている知識も使えず、思考力も一時停止の状況になってしまう」状況と言われるが、新人もまさにそのような経験をした3ヶ月であったと思います。身体がこわばるような、動悸が止まらないような「怖さ」を感じたという経験もありました。
しかし、新人たちは、個人的感情や批判はしませんでした。
業務に追われる日常の中での、やむをえない状況として理解を示していました。
そして、各自の目標を設定し、何時までに、何をどうするのか、具体的に考えました。
組織として、教育力をつけなければと思います。
7月1日 古賀 八重子
2011年6月22日水曜日
看護支援相談室便り No.15
短大の実習が終わりました。
今回は、2日だけの見学実習だったので、病院の環境に素直に感動してくれ、目標達成もできました。いい実習ができたと思います。
このように、いい実習ができたと思うことはよくある。
しかし、自分がいい指導ができたと思う事は滅多にない。
講義は、教員の力量が即評価されるが、実習は、受け持ち患者や病棟の指導体制など
色々な条件があって、自分の指導の結果と思えることは少ない。
一度だけそう思ったことがある。私が教えたいと思っていたことによく気づいてくれ、1年生としては「言うことはない」ような実習をしてくれた。
病棟の反省会で看護師長もほめてくれ、学校での全体反省会が楽しみだった。
実習は教員一人の指導ではないが、一つの条件として評価材料になる。他のグループの学びの深さに反省させられることは常時ある。
学生は、「看護」「人間」「健康」について深く理解し、「その人らしく生きる意味」にまで言及した発表をした。いい学びをした実習だったと、私は嬉しかった。
しかし、発表が終わった後、気づいたことがある。レポートの中にも、発表の中にも私の名前は出てこなかった。学生が気づいたことの大半は、自分が言った言葉だと思っていた。
いつも謝辞など気にもとめなかった。形式だし、学生のリップサービスだとわかっていたからだ。
この時は「指導しきった」思いがあった。患者に恵まれ、学生に恵まれていたが、私も、彼女たちの学びに加わっていたという自負があった。
でも、本当の学びは、誰かに教えられた言葉ではなく、自分の言葉として語れるレベルではないのか。
学生たちは、本当に自分たちの力で、わかったのだ。
「教えること」「学ぶこと」の深さを知った。
あの日から、学生の「古賀先生に教えていただいた」等という言葉を聞くと、恥ずかしくなった。
6月22日 古賀 八重子
今回は、2日だけの見学実習だったので、病院の環境に素直に感動してくれ、目標達成もできました。いい実習ができたと思います。
このように、いい実習ができたと思うことはよくある。
しかし、自分がいい指導ができたと思う事は滅多にない。
講義は、教員の力量が即評価されるが、実習は、受け持ち患者や病棟の指導体制など
色々な条件があって、自分の指導の結果と思えることは少ない。
一度だけそう思ったことがある。私が教えたいと思っていたことによく気づいてくれ、1年生としては「言うことはない」ような実習をしてくれた。
病棟の反省会で看護師長もほめてくれ、学校での全体反省会が楽しみだった。
実習は教員一人の指導ではないが、一つの条件として評価材料になる。他のグループの学びの深さに反省させられることは常時ある。
学生は、「看護」「人間」「健康」について深く理解し、「その人らしく生きる意味」にまで言及した発表をした。いい学びをした実習だったと、私は嬉しかった。
しかし、発表が終わった後、気づいたことがある。レポートの中にも、発表の中にも私の名前は出てこなかった。学生が気づいたことの大半は、自分が言った言葉だと思っていた。
いつも謝辞など気にもとめなかった。形式だし、学生のリップサービスだとわかっていたからだ。
この時は「指導しきった」思いがあった。患者に恵まれ、学生に恵まれていたが、私も、彼女たちの学びに加わっていたという自負があった。
でも、本当の学びは、誰かに教えられた言葉ではなく、自分の言葉として語れるレベルではないのか。
学生たちは、本当に自分たちの力で、わかったのだ。
「教えること」「学ぶこと」の深さを知った。
あの日から、学生の「古賀先生に教えていただいた」等という言葉を聞くと、恥ずかしくなった。
6月22日 古賀 八重子
2011年6月3日金曜日
看護支援相談室便り No.14
ドクダミの花
支援室にドクダミの花を飾った。
特有の匂いがあり、嫌いな人が多い花だ。しかし、私は好きだ。
濃い緑の葉(新しい葉をてんぷらにすると匂いも消えておいしい)、上質の白磁のような真っ白い十字の花、可愛いと思う。
私にとって父の思い出に繋がる花だ。
小さい頃から、父に「ドクダミの花が咲いたら、川に入ってもいい」と言われて育った。
毎年、白い花が咲くのを待った。
山と川しか遊ぶ場所がない田舎で、川遊びは楽しみの一つだ。
泳ぐには早いが、川に入れるのは魅力だ。
やってはいけない漁?だったかもしれないが、川をせき止めて、フナやハヤを獲った。
その魚を焼いてつるして置き、乾燥してから再度焼く(焙る)。熱々にちょっと醤油を付けて食べる。貴重なカルシュウムであり、父の好む酒の肴だった。
厳格な父だったが、ひっそりと咲く花に向けるやさしい視点があった。
「お前が男だったら」といつも言っていた父と、学生時代、一度だけ居酒屋で飲んだことがある。私の唯一の親孝行だったかもしれない。
(支援室便りなのに、個人的な内容が多いと批判があるかもしれません。今、支援室で起こっている、個人のプライバシーに関わることは書けません。ご了承下さい。)
6月3日 古賀 八重子
支援室にドクダミの花を飾った。
特有の匂いがあり、嫌いな人が多い花だ。しかし、私は好きだ。
濃い緑の葉(新しい葉をてんぷらにすると匂いも消えておいしい)、上質の白磁のような真っ白い十字の花、可愛いと思う。
私にとって父の思い出に繋がる花だ。
小さい頃から、父に「ドクダミの花が咲いたら、川に入ってもいい」と言われて育った。
毎年、白い花が咲くのを待った。
山と川しか遊ぶ場所がない田舎で、川遊びは楽しみの一つだ。
泳ぐには早いが、川に入れるのは魅力だ。
やってはいけない漁?だったかもしれないが、川をせき止めて、フナやハヤを獲った。
その魚を焼いてつるして置き、乾燥してから再度焼く(焙る)。熱々にちょっと醤油を付けて食べる。貴重なカルシュウムであり、父の好む酒の肴だった。
厳格な父だったが、ひっそりと咲く花に向けるやさしい視点があった。
「お前が男だったら」といつも言っていた父と、学生時代、一度だけ居酒屋で飲んだことがある。私の唯一の親孝行だったかもしれない。
(支援室便りなのに、個人的な内容が多いと批判があるかもしれません。今、支援室で起こっている、個人のプライバシーに関わることは書けません。ご了承下さい。)
6月3日 古賀 八重子
2011年5月27日金曜日
看護支援相談室便り No.13
6月、短大の基礎実習があります。
1年生ですから、入学して2ヵ月半の学生です。
「入学生の看護志向調査」のよると、1年生で、自分が看護師に向いているか不安という学生は43%、どちらともいえない38%、つまり80%の学生は、看護師に向かないのではと悩んでいるのです。
私も、学生時代、看護師には向かないと言われた事があります。初めての実習で、受け持ち患者さんが亡くなった時、病室で声をあげて泣いてしまったのです。
せめて一度温泉旅行をとすがりつく子等に看取られ農婦死にたり
大家族の中で、休みなく働いている農婦の母の姿と重なって、こらえきれなかったのです。「感情のコントロールができない人は、看護師には向かない」と叱られました。「看護師」が語られる時、どうしても「看護師は冷静で、受容的でなくてはいけない」ことなどが強調されます。私の年でもむつかしいことが、20歳にもならない看護学生に求められる現実は厳しすぎると思います。看護教員になってからも、発達課題以上の課題を無理にはたすことを要求されている学生をみて、心が痛みました。
「やさしくなくてはいけない」「排泄物を汚いと思ってはいけない」と教育しなくても、学生は自分で気づき育っていきます。
「ありのままの自分を大切にされた学生は、ありのままの患者さんを大切に思うことができる」これは、私が33年かけて実践してきた一つの理論です。
前、前任校で、ある1年生がこんな基礎実習の感想を書きました。
「私は初め排泄の世話をすることがこわかった。自分が汚いと思ってしまうことがこわかった。もし、そう思ってしまったら看護師になる資格はないと思ったからだ。でも、患者さんが失禁(おもらし)してオムツを替える時や、トイレでおしりを拭く時、汚いとは全く思えませんでした。むしろ、失禁をなくしてあげたいとか、ペーパーだけでは気持ち悪いだろうから蒸しタオルで拭こうという思いが出てきました。こういう思いが看護なんだと思いました。」
排便があったことを、自分のことにように喜ぶことができた学生、人としっかり関わると、その人が特別な存在になることを、1年生でも知ることができるのです。
基礎実習の1年生に、じっくり、しっかり関わってあげたいと思います。
5月27日 古賀 八重子
1年生ですから、入学して2ヵ月半の学生です。
「入学生の看護志向調査」のよると、1年生で、自分が看護師に向いているか不安という学生は43%、どちらともいえない38%、つまり80%の学生は、看護師に向かないのではと悩んでいるのです。
私も、学生時代、看護師には向かないと言われた事があります。初めての実習で、受け持ち患者さんが亡くなった時、病室で声をあげて泣いてしまったのです。
せめて一度温泉旅行をとすがりつく子等に看取られ農婦死にたり
大家族の中で、休みなく働いている農婦の母の姿と重なって、こらえきれなかったのです。「感情のコントロールができない人は、看護師には向かない」と叱られました。「看護師」が語られる時、どうしても「看護師は冷静で、受容的でなくてはいけない」ことなどが強調されます。私の年でもむつかしいことが、20歳にもならない看護学生に求められる現実は厳しすぎると思います。看護教員になってからも、発達課題以上の課題を無理にはたすことを要求されている学生をみて、心が痛みました。
「やさしくなくてはいけない」「排泄物を汚いと思ってはいけない」と教育しなくても、学生は自分で気づき育っていきます。
「ありのままの自分を大切にされた学生は、ありのままの患者さんを大切に思うことができる」これは、私が33年かけて実践してきた一つの理論です。
前、前任校で、ある1年生がこんな基礎実習の感想を書きました。
「私は初め排泄の世話をすることがこわかった。自分が汚いと思ってしまうことがこわかった。もし、そう思ってしまったら看護師になる資格はないと思ったからだ。でも、患者さんが失禁(おもらし)してオムツを替える時や、トイレでおしりを拭く時、汚いとは全く思えませんでした。むしろ、失禁をなくしてあげたいとか、ペーパーだけでは気持ち悪いだろうから蒸しタオルで拭こうという思いが出てきました。こういう思いが看護なんだと思いました。」
排便があったことを、自分のことにように喜ぶことができた学生、人としっかり関わると、その人が特別な存在になることを、1年生でも知ることができるのです。
基礎実習の1年生に、じっくり、しっかり関わってあげたいと思います。
5月27日 古賀 八重子
2011年5月23日月曜日
看護支援相談室便り No.12
ちょっと新人をほめさせてください。
入職して2ヶ月目ですが、新人が一人前の看護師になれるか、心配している人も居ると思います。
新人は、まだ大きな声で看護感を語りませんし、知識も技術も未熟かもしれません。でも、「こんな看護をしたい」という意欲(芽)を持っています。
認知症の患者さんを見て、「本人はわからないかもしれないけど、家族の気持ちを考えると血液で汚れたシーツを早くかえてやりたいと思う」というやさしさ、
一緒にオムツ交換をした時、便が出掛かっているのを見て、「すっきりしてやりたい」とすぐ「摘便します」と言って看護師さんに許可をもらいに走り、尊厳を守って丁寧に排泄ケアをした真摯な態度、
配属になったら、記録を早く書いて、ベッドサイドに行く時間をたくさん作りたい、その為に、疾患と症状の観察マニュアルをポケットサイズで作りたいと頑張っている予測能力のある新人、
初日から「私に欠けているものは何ですか、どんな勉強をすればいいんでしょう」と質問してきた新人は、いつも「私がやります」と積極的に手を出し、一日も早く力をつけようと努力しています。
どの新人の姿からも看護が好きなことが伝わってきます。
評価や義務感のためでなく、「この人のために」と心が動く看護師を育てることが一番大切で困難なことです。知識や技術があっても、気持ちが動かなければ看護は行動化できないのです。新人の持っている宝に、たくさんの人が気づいてほしい。
3年間で看護師としての知識・技術・態度を教える大変さを知る者として、身びいきかもしれませんが、新人たちの「看護の心」に感心しています。
「私は、何をするために看護師になったのだろうか」という原点に戻らされます。育ててくれた彼女たちの先生方にも感謝の気持ちで一杯です。
この芽を育てていくのは私たち臨床の責任です。
5月23日 古賀 八重子
入職して2ヶ月目ですが、新人が一人前の看護師になれるか、心配している人も居ると思います。
新人は、まだ大きな声で看護感を語りませんし、知識も技術も未熟かもしれません。でも、「こんな看護をしたい」という意欲(芽)を持っています。
認知症の患者さんを見て、「本人はわからないかもしれないけど、家族の気持ちを考えると血液で汚れたシーツを早くかえてやりたいと思う」というやさしさ、
一緒にオムツ交換をした時、便が出掛かっているのを見て、「すっきりしてやりたい」とすぐ「摘便します」と言って看護師さんに許可をもらいに走り、尊厳を守って丁寧に排泄ケアをした真摯な態度、
配属になったら、記録を早く書いて、ベッドサイドに行く時間をたくさん作りたい、その為に、疾患と症状の観察マニュアルをポケットサイズで作りたいと頑張っている予測能力のある新人、
初日から「私に欠けているものは何ですか、どんな勉強をすればいいんでしょう」と質問してきた新人は、いつも「私がやります」と積極的に手を出し、一日も早く力をつけようと努力しています。
どの新人の姿からも看護が好きなことが伝わってきます。
評価や義務感のためでなく、「この人のために」と心が動く看護師を育てることが一番大切で困難なことです。知識や技術があっても、気持ちが動かなければ看護は行動化できないのです。新人の持っている宝に、たくさんの人が気づいてほしい。
3年間で看護師としての知識・技術・態度を教える大変さを知る者として、身びいきかもしれませんが、新人たちの「看護の心」に感心しています。
「私は、何をするために看護師になったのだろうか」という原点に戻らされます。育ててくれた彼女たちの先生方にも感謝の気持ちで一杯です。
この芽を育てていくのは私たち臨床の責任です。
5月23日 古賀 八重子
2011年5月16日月曜日
看護支援相談室便り No.11
今、できることを大切に
経験2年目の若い教員が支援室を訪ねてきた。学生の指導についての報告と言うか確認。
詳細は個人情報なので省略するが、いつも冷静で認知症の患者さんに「出て行け」と言われてもしっかり対応できる社会人の学生、いい気づきをしているのに、カンファレンスでは、若い同級生の前で自分を出さないのが気になっていた。一人で、ボーっとソファーに座っていたので「どうかした?辛いことはないの?」と声をかけたら涙を流したので驚いたという。
「初めて受け持ち患者から拒否された、最初は人間関係も良かったが、患者がうつ状態になり、看護師や看護教員への不満をぶつけてくるようになった。自分としてはどうしてあげることもできずに聞いているだけだった。そのうち、学生の受け持ちも止めて欲しいといわれた」と。教員は、どんな学生にも援助が必要だと気が付いたが、話しを聞いてあげることしかできなかった。最後に「患者さんが辛いことや不満を看護師さんや教員でなく、あなたにぶつけてきたことはすごいことだよ。自分の弱さをあなたには見せていいと思ってくれたんだから、それも看護だと思う。あなたも、無理に元気を出さなくてもいいから、何時ものように、( 今、できることを大切に )患者さんと向き合っていけばいいと思う」と伝えたら
「聞いてくれてありがとうございます、声をかけてくれて嬉しかった」と言ってくれたそうだ。
彼女は、悩んでいる学生の異常を感じとり声をかけた、
学生の辛さを受け止め、辛さの体験にも意味があることを伝えることができた。
なによりも、「今、できることを大切に」、学生と向き合い話ができた。
1年間、自分が教員に向いているのか、悩んでいた彼女の報告は嬉しかった。
一雫こぼして延びる木の芽かな 諸九尼
5月16日 古賀 八重子
経験2年目の若い教員が支援室を訪ねてきた。学生の指導についての報告と言うか確認。
詳細は個人情報なので省略するが、いつも冷静で認知症の患者さんに「出て行け」と言われてもしっかり対応できる社会人の学生、いい気づきをしているのに、カンファレンスでは、若い同級生の前で自分を出さないのが気になっていた。一人で、ボーっとソファーに座っていたので「どうかした?辛いことはないの?」と声をかけたら涙を流したので驚いたという。
「初めて受け持ち患者から拒否された、最初は人間関係も良かったが、患者がうつ状態になり、看護師や看護教員への不満をぶつけてくるようになった。自分としてはどうしてあげることもできずに聞いているだけだった。そのうち、学生の受け持ちも止めて欲しいといわれた」と。教員は、どんな学生にも援助が必要だと気が付いたが、話しを聞いてあげることしかできなかった。最後に「患者さんが辛いことや不満を看護師さんや教員でなく、あなたにぶつけてきたことはすごいことだよ。自分の弱さをあなたには見せていいと思ってくれたんだから、それも看護だと思う。あなたも、無理に元気を出さなくてもいいから、何時ものように、( 今、できることを大切に )患者さんと向き合っていけばいいと思う」と伝えたら
「聞いてくれてありがとうございます、声をかけてくれて嬉しかった」と言ってくれたそうだ。
彼女は、悩んでいる学生の異常を感じとり声をかけた、
学生の辛さを受け止め、辛さの体験にも意味があることを伝えることができた。
なによりも、「今、できることを大切に」、学生と向き合い話ができた。
1年間、自分が教員に向いているのか、悩んでいた彼女の報告は嬉しかった。
一雫こぼして延びる木の芽かな 諸九尼
5月16日 古賀 八重子
2011年5月14日土曜日
看護支援相談室便り No.10
美しいものをみること
病院の9階から見る駿河湾は、本当に美しい。就職を決めた理由の一つだ。
今、東日本大震災の津波の映像が鮮烈で、複雑な思いはある。
でも海や山の自然も人間も、恐ろしい時もあるが、美しさに変わりはないと思う。
脳外科の金子先生はいつも「美しいものを美しいと思う心と、患者の痛みを感じる心は同じだ」と美しい絵を見ることや音楽を聞くことの大切さを伝えてくれた。先生の講義のスライドの合間に映される花の写真は、学生を癒してくれた。
新人は少し疲れている様子です。肩の力をぬいて、美しいものを見て欲しい。「生きているからこその悩み」「こうなりたい、という理想があるからこその悩み」「真剣に考えるからの悩み」だと気づいてほしい。いつか、悩んだ自分が愛しいと思う時がきます。
形や内容は違うけど、皆一つひとつ乗り越えながら年を重ねています。
夫が亡くなってしばらくは仲の良い夫婦を見ると辛かった。
ある時、何気なく見ていたテレビの中で、「夫婦が色々あっても別れないのは、人生の最後の夕日を一緒に見るためだ」と言うセリフがあり、自分には最後の日、一緒に夕日を見る人がいない現実を突きつけられた(と思った)
ひとりでも生きねばならぬ生きられる
言い聞かせつつ花に水やる
こんな歌ばかり作っていた。耐えられなくなって友達に話したら
「私と見ればいいでしょ」とあっさり言われ、まだ自分に在るものに気づかされた。
夫を亡くした悲しみは今もある。
しかし、人の心は、こんな風に救われるものだ。
5月13日 古賀 八重子
病院の9階から見る駿河湾は、本当に美しい。就職を決めた理由の一つだ。
今、東日本大震災の津波の映像が鮮烈で、複雑な思いはある。
でも海や山の自然も人間も、恐ろしい時もあるが、美しさに変わりはないと思う。
脳外科の金子先生はいつも「美しいものを美しいと思う心と、患者の痛みを感じる心は同じだ」と美しい絵を見ることや音楽を聞くことの大切さを伝えてくれた。先生の講義のスライドの合間に映される花の写真は、学生を癒してくれた。
新人は少し疲れている様子です。肩の力をぬいて、美しいものを見て欲しい。「生きているからこその悩み」「こうなりたい、という理想があるからこその悩み」「真剣に考えるからの悩み」だと気づいてほしい。いつか、悩んだ自分が愛しいと思う時がきます。
形や内容は違うけど、皆一つひとつ乗り越えながら年を重ねています。
夫が亡くなってしばらくは仲の良い夫婦を見ると辛かった。
ある時、何気なく見ていたテレビの中で、「夫婦が色々あっても別れないのは、人生の最後の夕日を一緒に見るためだ」と言うセリフがあり、自分には最後の日、一緒に夕日を見る人がいない現実を突きつけられた(と思った)
ひとりでも生きねばならぬ生きられる
言い聞かせつつ花に水やる
こんな歌ばかり作っていた。耐えられなくなって友達に話したら
「私と見ればいいでしょ」とあっさり言われ、まだ自分に在るものに気づかされた。
夫を亡くした悲しみは今もある。
しかし、人の心は、こんな風に救われるものだ。
5月13日 古賀 八重子
2011年5月10日火曜日
看護支援相談室便り No.9
赴任して1ヶ月がたちました。
私の主な仕事は、実習を含む教育全般に関わることですが、支援室はメンタル面等のサポートをする相談業務と、知的興奮の場としてキャリアアップを支援する業務(図書室)の場です。
4月、相談室への来訪者は、仕事の打ち合わせに見えた師長さんや事務職員と新人以外は図書を借りに来た3名だけです。
私は、非常勤で、朝礼にも出なていないので、存在を知られていないためか、相談するほどの悩みはないのか、わかりませんが、個人的な内容を許可なく報告したり、書くことは絶対にありませんから安心して来て下さい。理由がなくても来てくれたら嬉しいです。
今一番欲しいのは、図書の充実です。インターネットで最新の情報を見ることができる時代ですが、本を読むことで見えてくることも多いと思います。仕事を深めるヒントをえるためには、専門誌を何冊かは読んで欲しい。「元気・やる気」のでる情報を用意しておきたい。
図書室を作ってくれたのはすごくありがたいことです。でも、私の夢は、本だけではなく、視聴覚教材も充実させて、VTRやDVDを見て、皆で自由に勉強できる場所です。学生たちは、本当に興味を持って、学びたいと思った時、時間がないとは言いませんでした。
新人も、4月の中間反省会で、仕事が終わってから、同期の人と勉強していく場所がほしいと言っていました。
専門職として、自ら学んでいく努力は必要です。でも、気づいたことを共に実践していく仲間、「頑張ったね」とわかりあえる仲間がいれば働くことは、楽しいものになるのではと考えます。「大変だけれど辞められないね」と思って働けるためには、何が必要か、自分にできることは何か、毎日考えています。
5月9日 古賀 八重子
私の主な仕事は、実習を含む教育全般に関わることですが、支援室はメンタル面等のサポートをする相談業務と、知的興奮の場としてキャリアアップを支援する業務(図書室)の場です。
4月、相談室への来訪者は、仕事の打ち合わせに見えた師長さんや事務職員と新人以外は図書を借りに来た3名だけです。
私は、非常勤で、朝礼にも出なていないので、存在を知られていないためか、相談するほどの悩みはないのか、わかりませんが、個人的な内容を許可なく報告したり、書くことは絶対にありませんから安心して来て下さい。理由がなくても来てくれたら嬉しいです。
今一番欲しいのは、図書の充実です。インターネットで最新の情報を見ることができる時代ですが、本を読むことで見えてくることも多いと思います。仕事を深めるヒントをえるためには、専門誌を何冊かは読んで欲しい。「元気・やる気」のでる情報を用意しておきたい。
図書室を作ってくれたのはすごくありがたいことです。でも、私の夢は、本だけではなく、視聴覚教材も充実させて、VTRやDVDを見て、皆で自由に勉強できる場所です。学生たちは、本当に興味を持って、学びたいと思った時、時間がないとは言いませんでした。
新人も、4月の中間反省会で、仕事が終わってから、同期の人と勉強していく場所がほしいと言っていました。
専門職として、自ら学んでいく努力は必要です。でも、気づいたことを共に実践していく仲間、「頑張ったね」とわかりあえる仲間がいれば働くことは、楽しいものになるのではと考えます。「大変だけれど辞められないね」と思って働けるためには、何が必要か、自分にできることは何か、毎日考えています。
5月9日 古賀 八重子
2011年5月2日月曜日
看護支援相談室便り No.8
母のこころ
連休中の2日間、グループホームにいる母を外泊で自宅に連れてきた。
施設に入ってから、面会のたびに無表情になっていく母をみるのは辛かったが、一緒に草取りをしたり、食事の準備をしていると、いきいきといした母になる。
今回も、外泊のため迎えに行った。母は、部屋に閉じこもって寝ていた。朝から下痢気味で、排泄に失敗し、トイレを汚したショックで昼食も食べずに寝ているという。
母は、年を重ねても、世慣れた図々しさがなく「人様に迷惑をかけないように」つつましく生きて来た。その母が、排泄の失敗でどれだけ傷ついているか、よくわかる。
前回、自宅に来た時は、トイレは一度教えれば自分で行けれたが、今回はその都度連れていかないとわからなかった。でも、行きたい時に誘導すれば失敗はなかった。
一緒にお風呂に入って髪を染めてやると「お正月頭になった、まだ2~3年は染めていたい」と言い、息子の彼女を「明るくていい娘で良かった、これでにぎやかになるね」という母はいつもの母である。でも、父や夫はまだ生きていると思っている。
母に残っている能力は、洗濯物や布団をきちんと畳む、食器をきれいに洗い上げる、草を根元からしっかり抜くこと等だった。
そして、私たち、3人の子供に対する愛情だった。
柏餅や果物など美味しいものを食べると「家に持って帰りたい、あと三つないかしら」と探し回る。子供の頃、茶摘や田植えの手伝いを行なっておやつに貰うキャラメルや飴を、母は一つも食べないで私達に持ってきてくれた。私達は、それを当然のように受け止め、数が余ったときはジャンケンをして分けていた。今、改めて、母の愛情を感じる。そして、切ない。
壊れていく母よ
あと何回
私を「八重子」と呼んでくれるだろう
5月1日 古賀 八重子
連休中の2日間、グループホームにいる母を外泊で自宅に連れてきた。
施設に入ってから、面会のたびに無表情になっていく母をみるのは辛かったが、一緒に草取りをしたり、食事の準備をしていると、いきいきといした母になる。
今回も、外泊のため迎えに行った。母は、部屋に閉じこもって寝ていた。朝から下痢気味で、排泄に失敗し、トイレを汚したショックで昼食も食べずに寝ているという。
母は、年を重ねても、世慣れた図々しさがなく「人様に迷惑をかけないように」つつましく生きて来た。その母が、排泄の失敗でどれだけ傷ついているか、よくわかる。
前回、自宅に来た時は、トイレは一度教えれば自分で行けれたが、今回はその都度連れていかないとわからなかった。でも、行きたい時に誘導すれば失敗はなかった。
一緒にお風呂に入って髪を染めてやると「お正月頭になった、まだ2~3年は染めていたい」と言い、息子の彼女を「明るくていい娘で良かった、これでにぎやかになるね」という母はいつもの母である。でも、父や夫はまだ生きていると思っている。
母に残っている能力は、洗濯物や布団をきちんと畳む、食器をきれいに洗い上げる、草を根元からしっかり抜くこと等だった。
そして、私たち、3人の子供に対する愛情だった。
柏餅や果物など美味しいものを食べると「家に持って帰りたい、あと三つないかしら」と探し回る。子供の頃、茶摘や田植えの手伝いを行なっておやつに貰うキャラメルや飴を、母は一つも食べないで私達に持ってきてくれた。私達は、それを当然のように受け止め、数が余ったときはジャンケンをして分けていた。今、改めて、母の愛情を感じる。そして、切ない。
壊れていく母よ
あと何回
私を「八重子」と呼んでくれるだろう
5月1日 古賀 八重子
2011年4月28日木曜日
看護支援相談室便り No.7
体が前に出るようになりました。
ローテーション研修の1クール目が終わりました。
受け持ち患者を持つのではなく、看護師さんと一緒に働く中で、病棟の特色や看護を見ることを中心にした研修にしました。「学生時代の実習のようで物足りない。見学だけなら1週間でもいいのでは」という意見や「業務の流れや特色だけでなく、看護師さん一人ひとりの看護に対する考え方や人間関係を知るためには2週間は必要」という意見など個人差がありました。
でも、皆大きくなったように思います。ただ立ってい見ている状況から、前屈みに近づいて見るようになり、この頃援助している姿が見られます。看護師さんが記録をしている間、もったいないからと足浴や洗髪をさせてもらったという新人もいました。
みんな、看護がしたい、看護が好きなのです。
できる技術少しづつ増える喜びを
語りつつ白衣着替えゆく娘ら
4月28日 古賀 八重子
ローテーション研修の1クール目が終わりました。
受け持ち患者を持つのではなく、看護師さんと一緒に働く中で、病棟の特色や看護を見ることを中心にした研修にしました。「学生時代の実習のようで物足りない。見学だけなら1週間でもいいのでは」という意見や「業務の流れや特色だけでなく、看護師さん一人ひとりの看護に対する考え方や人間関係を知るためには2週間は必要」という意見など個人差がありました。
でも、皆大きくなったように思います。ただ立ってい見ている状況から、前屈みに近づいて見るようになり、この頃援助している姿が見られます。看護師さんが記録をしている間、もったいないからと足浴や洗髪をさせてもらったという新人もいました。
みんな、看護がしたい、看護が好きなのです。
できる技術少しづつ増える喜びを
語りつつ白衣着替えゆく娘ら
4月28日 古賀 八重子
2011年4月21日木曜日
看護支援相談室便り No.6
つつじの花
つつじが咲く頃になると思い出す患者さんがいます。
大部屋から、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
女性6人の外科病室である。何事かと思って入ると、Fさんのベッドの上に、紫色と白のつつじが3本置いてある。脳梗塞で口も不自由な男性患者Kさんが、外泊のお土産にFさんに持って来たという。家人は、自分の床頭台に飾るのかと思っていたら、病院についたらまっすぐFさんのところに来て、黙って差し出したという。
70歳の男の純情だと笑い合いながら、いつまでも異性を意識したいし、されたいと語る70代の女性たちの明るさ、花を贈られた女性と花を贈った男性を話のタネにしながら、それを冷やかすのではなく温かく包んでいるやさしさ。寝間着の襟元をかき合わすFさんの左胸に乳房はない。末期の乳がんの大手術に耐えて小康を保っているFさんの笑顔は初々しく美しかった。
4月21日 古賀 八重子
つつじが咲く頃になると思い出す患者さんがいます。
大部屋から、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
女性6人の外科病室である。何事かと思って入ると、Fさんのベッドの上に、紫色と白のつつじが3本置いてある。脳梗塞で口も不自由な男性患者Kさんが、外泊のお土産にFさんに持って来たという。家人は、自分の床頭台に飾るのかと思っていたら、病院についたらまっすぐFさんのところに来て、黙って差し出したという。
70歳の男の純情だと笑い合いながら、いつまでも異性を意識したいし、されたいと語る70代の女性たちの明るさ、花を贈られた女性と花を贈った男性を話のタネにしながら、それを冷やかすのではなく温かく包んでいるやさしさ。寝間着の襟元をかき合わすFさんの左胸に乳房はない。末期の乳がんの大手術に耐えて小康を保っているFさんの笑顔は初々しく美しかった。
4月21日 古賀 八重子
2011年4月19日火曜日
看護支援相談室便り No.5
既卒の新人や中途採用者は大丈夫でしょうか?
新卒の看護師は、まだ病棟研修中で看護師さんから一つ一つ教えてもらっています。新卒を大切にしてもらっている陰で既卒や中途採用の人は、「教えてほしいこと」「一緒にやってほしいこと」がありながら、一人で頑張っているのではないかと心配しています。
3年前の4月、一緒に就職した中途採用の看護師が、1ヶ月で辞めていったことを思い出すからです。「電子カルテがかけないので、何時になったら帰れるかわからない。若い人に聞いても説明してもらったことの半分しかできない」「看護師として働いてきた自信がどんどんなくなって、若い人たちにバカにされているように思う。プライドが傷ついた」「やっぱり正規職員で働くのは無理だ」という結論になるのは早かった。
家庭にいた人が働くことを決意するのは大変なことです。どこの病院で、どういう形で働くか、悩んだ末就職してくれた人たちを「一人も辞めさせない」ために、個別性にあった多様なサポートをしてあげたい。
0.5の仕事(一面の評価と思いますが)しかできない人が、いつか1.2の仕事ができるようになる、いや0.5の仕事しかできない人に救われる患者さんもいることを、患者家族になって知りました。
一緒に働く仲間からみた、いいナースと、患者さんから見た、いいナースは違う場合もあることを、亡くなった父や夫の言葉から知りました。
今年もまた、個性豊かな人たちが入職しました。個性や相違を許容する視点で、「待てる」職場でありたいと思います。
4月18日 古賀 八重子
新卒の看護師は、まだ病棟研修中で看護師さんから一つ一つ教えてもらっています。新卒を大切にしてもらっている陰で既卒や中途採用の人は、「教えてほしいこと」「一緒にやってほしいこと」がありながら、一人で頑張っているのではないかと心配しています。
3年前の4月、一緒に就職した中途採用の看護師が、1ヶ月で辞めていったことを思い出すからです。「電子カルテがかけないので、何時になったら帰れるかわからない。若い人に聞いても説明してもらったことの半分しかできない」「看護師として働いてきた自信がどんどんなくなって、若い人たちにバカにされているように思う。プライドが傷ついた」「やっぱり正規職員で働くのは無理だ」という結論になるのは早かった。
家庭にいた人が働くことを決意するのは大変なことです。どこの病院で、どういう形で働くか、悩んだ末就職してくれた人たちを「一人も辞めさせない」ために、個別性にあった多様なサポートをしてあげたい。
0.5の仕事(一面の評価と思いますが)しかできない人が、いつか1.2の仕事ができるようになる、いや0.5の仕事しかできない人に救われる患者さんもいることを、患者家族になって知りました。
一緒に働く仲間からみた、いいナースと、患者さんから見た、いいナースは違う場合もあることを、亡くなった父や夫の言葉から知りました。
今年もまた、個性豊かな人たちが入職しました。個性や相違を許容する視点で、「待てる」職場でありたいと思います。
4月18日 古賀 八重子
2011年4月15日金曜日
看護支援相談室便り No.4
「ここは、何でもありの部屋ですね。ここへ泣きに来てもいいですか?」
コーヒーとチョコを食べながら、情報交換を終えた新人が言いました。
「もちろん、タオル用意しておくから」
私も泣いて育ちました。
声あげて 泣くはナースに 適さずと
言われてもなお 嗚咽止まらず
泣いた後、元気になりました。
涙の冷えるとき すっとくるあたたかさ
また明日より 生きむと思う
この部屋には、いつもスターバックスのコーヒーや高級チョコがあるわけではない。
でも、この部屋は、人間の可能性と善意を信じられる場所でありたい。
4月15日 古賀 八重子
コーヒーとチョコを食べながら、情報交換を終えた新人が言いました。
「もちろん、タオル用意しておくから」
私も泣いて育ちました。
声あげて 泣くはナースに 適さずと
言われてもなお 嗚咽止まらず
泣いた後、元気になりました。
涙の冷えるとき すっとくるあたたかさ
また明日より 生きむと思う
この部屋には、いつもスターバックスのコーヒーや高級チョコがあるわけではない。
でも、この部屋は、人間の可能性と善意を信じられる場所でありたい。
4月15日 古賀 八重子
看護支援相談室便り No.3
ローテーション研修が始まりました。
「ここの看護師さんは、新人を面倒だとおもっていないのが嬉しい」
配属されて2日目、情報交換のミーティングでの新人の言葉です。
「そうだね、注射の練習の時の看護師さんもそうだったね」と言うと、「あの時、この看護師さんについていこうと思った」と他の新人も言いました。
学生時代、どんなに理解のある実習場でも、学生は忙しい看護師さんたちに申し訳ないという思いを抱えて指導を受けています。新人もまた、何もできないことで、申し訳なく思っています。
だから、すこしの言葉で傷つきます。
「大丈夫、ここに居ていいんだよ、何でも聞いて」というやさしさに感動します。
7:1の大病院に比べたら、現実の厳しさに悩む日もあるでしょう。
でも、今日、「この病院に来てくれてありがとう」という先輩たちのメッセージは、伝わりました。
新人も先輩看護師も、緊張しつつ輝いていました。
4月14日 古賀 八重子
「ここの看護師さんは、新人を面倒だとおもっていないのが嬉しい」
配属されて2日目、情報交換のミーティングでの新人の言葉です。
「そうだね、注射の練習の時の看護師さんもそうだったね」と言うと、「あの時、この看護師さんについていこうと思った」と他の新人も言いました。
学生時代、どんなに理解のある実習場でも、学生は忙しい看護師さんたちに申し訳ないという思いを抱えて指導を受けています。新人もまた、何もできないことで、申し訳なく思っています。
だから、すこしの言葉で傷つきます。
「大丈夫、ここに居ていいんだよ、何でも聞いて」というやさしさに感動します。
7:1の大病院に比べたら、現実の厳しさに悩む日もあるでしょう。
でも、今日、「この病院に来てくれてありがとう」という先輩たちのメッセージは、伝わりました。
新人も先輩看護師も、緊張しつつ輝いていました。
4月14日 古賀 八重子
2011年4月12日火曜日
看護支援相談室便り No.2
新人は不安でいっぱいです。
新人の卒業時の看護技術経験をチェックしました。
新人一人当たりの経験技術は、
レベル1:単独で実施できた技術は、41項目
レベル2:看護師の指導・監督の下で実施できた技術は、32項目
レベル3:看護師・医師の実施を見学、または全くの未経験の技術は、127項目
入職時アンケートでも、不安なこととして、
①電子カルテや看護過程・看護問題
②点滴、採血、滅菌操作などの既習の技術
③今まで経験したり、みたことのない技術
をあげ、不安が一杯と応えています。
基礎教育の3年間は、無資格者ということで、実習場での経験は、制限されています。
今から、一つづつ覚えていくしかありません。
一緒にがんばりたいと思います。
4月11日 古賀 八重子
新人の卒業時の看護技術経験をチェックしました。
新人一人当たりの経験技術は、
レベル1:単独で実施できた技術は、41項目
レベル2:看護師の指導・監督の下で実施できた技術は、32項目
レベル3:看護師・医師の実施を見学、または全くの未経験の技術は、127項目
入職時アンケートでも、不安なこととして、
①電子カルテや看護過程・看護問題
②点滴、採血、滅菌操作などの既習の技術
③今まで経験したり、みたことのない技術
をあげ、不安が一杯と応えています。
基礎教育の3年間は、無資格者ということで、実習場での経験は、制限されています。
今から、一つづつ覚えていくしかありません。
一緒にがんばりたいと思います。
4月11日 古賀 八重子
看護支援相談室便り No.1
3ヶ月にわたる新人看護研修がはじまりました 。
今日から、注射や採血の看護技術研修です。
新人同士、お互いの血管を使って練習すると思いきや、先輩看護師が惜しげもなく両腕を差し出し、5箇所も6箇所も採血や天敵静脈注射の練習をさせていました。
バンソウコウだらけの腕をみて、「大変ですね」と声をかけると、「毎年のことです」と笑っていました。
わが死後と継ぎ行く娘らのまだ硬き指をおさえつつ採血教ゆ
私も新人の頃、先輩技術のすごさを最初に知ったのは、採血の技術でした。
赤ちゃんのぷっくりした手の甲や、高齢者の細い血管から、1回で採血する技術に見とれ、あこがれたものでした。
「この血管には20ゲージがいいよ」「ここから入れていけばうまくとれると思う」と適切なアドバイスをして、成功体験させ、自信をつけさせていく先輩看護師。
真剣に応えようとしている新人看護師。
あっという間にすぎた1日でした。
4月8日 古賀 八重子
今日から、注射や採血の看護技術研修です。
新人同士、お互いの血管を使って練習すると思いきや、先輩看護師が惜しげもなく両腕を差し出し、5箇所も6箇所も採血や天敵静脈注射の練習をさせていました。
バンソウコウだらけの腕をみて、「大変ですね」と声をかけると、「毎年のことです」と笑っていました。
わが死後と継ぎ行く娘らのまだ硬き指をおさえつつ採血教ゆ
私も新人の頃、先輩技術のすごさを最初に知ったのは、採血の技術でした。
赤ちゃんのぷっくりした手の甲や、高齢者の細い血管から、1回で採血する技術に見とれ、あこがれたものでした。
「この血管には20ゲージがいいよ」「ここから入れていけばうまくとれると思う」と適切なアドバイスをして、成功体験させ、自信をつけさせていく先輩看護師。
真剣に応えようとしている新人看護師。
あっという間にすぎた1日でした。
4月8日 古賀 八重子
看護支援相談室だよりを始めます
4月1日に赴任した 看護支援相談室 古賀 八重子 室長による、看護支援相談室だよりをお送りすることにしました。
最初は少しさかのぼりますが、4月8日分から投稿します。
お気軽に楽しんでくださいね。
最初は少しさかのぼりますが、4月8日分から投稿します。
お気軽に楽しんでくださいね。
登録:
投稿 (Atom)